軽やかに、都会の独身女性像を超えていくー『るきさん』を読んでー

「しなきゃ」と思って暮らしてた。~エンタメから学ぶ「しなきゃ、なんてない。」~

日常の中で何気なく思ってしまう「できない」「しなきゃ」を、映画・本・音楽などを通して見つめ直す。今回は、都会暮らし・30代・独身女性のマイペースな暮らしぶりを描いた漫画『るきさん』(高野文子・筑摩書房)をご紹介。時代遅れでも、周りから見たら少し変でも、居心地がよければそれでよし。るきさんの在り方にほっとする人は多いはず。


高野文子(2015年)『るきさん』(新装版)筑摩書房

『るきさん』概要

1988〜1992年に雑誌『Hanako』(マガジンハウス)で連載された高野文子さんの漫画をまとめた一冊。主人公は、おそらく都内で暮らす推定30代半ばの独身女性るきさん。計算が得意なるきさんの仕事は、在宅で病院の保険請求の処理をすること。1カ月分の仕事が1週間で終わるため、残りの時間は図書館に行ったり、切手収集をしてマイペースに暮らしている。

もう一人の登場人物が、るきさんの友だち・えっちゃん。会社勤めではやりに敏感な、るきさんと同年代の女性だ。るきさんとは正反対の性格だが、二人は仲がいい。

るきさんの暮らしぶりは、バブル期に描かれた漫画とは思えないほど質素で古風だ。みかんの皮を干してお風呂に入れたり、火鉢で焼き鳥を作ったりしている。えっちゃんからはやりのエスニックレストランに誘われても「勇気のいることはしたくない」と言って断る。はやりに興味がないのではなく、自分の“価値軸”にはやりのものが入ってこないから振り回されないようだ。

るきさんの在り方が分かる印象的なエピソードがある。るきさんの自転車を修理した青年に既婚者と間違われ「奥さん」と呼ばれるが、るきさんは未婚だと訂正しない。その後、図書館で会った子どもと一緒のところを同じ青年に見られて「お母さん」と呼ばれるが、やはりるきさんは訂正しない。その後、ひょんなことから青年はるきさんが未婚であることを知ってナンパをするが、るきさんは相手にしないのだ。

30代半ばの独身女性が既婚・子持ちと間違われたら慌てて訂正したくなりそうだが、るきさんは「まあいっか」と流している。

都会の独身女性像に当てはまらなくちゃ、なんてない。

今は、都会暮らし・独身女性のいわゆるおひとりさま像が定着しているのではないか。仕事でキャリアアップをして、それなりのお金を持ち、好奇心の向く方へアクティブに動き、環境に配慮した暮らしをして、結婚や出産に対する古風な価値観にジレンマを抱えつつ、自分なりの答えを探す……といった女性像だ。メディアで「多様で豊かな暮らしを送る女性像」と紹介されるたびに、「都会の独身女性像に当てはまらなきゃいけないのかも」と思う。昇進して1ポイント、投資をして1ポイント、趣味を広げて1ポイント、結婚して1ポイント……と、定着した都会の独身女性像をクリアするたびに完璧に近づけるような幻想を抱いてしまう。

本書を読んで感じるのは、そんな幻想を吹き飛ばす清々しさとうらやましさだ。自分が心地よいことを生活の指針にしているるきさんは、一般的な都会暮らしの独身女性像からことごとく外れているが、そんな像から外れても機嫌よく豊かに暮らせると教えてくれる。定着した女性像に当てはまるために感情を抑え、周りの人に同調圧力さえかけそうになる時、るきさんを読むとゆるゆると肩の力が抜けて、清々しい気持ちになれるのだ。そして、持っている服が少なくて梅雨を割烹着(かっぽうぎ)とレインコートで乗り切るるきさんを見て(これがとても似合っている!)、るきさんのようにモノにも他人の目にも執着したくないとうらやましく思うのだ。

るきさんの生活観を表現している印象的な描写がある。

「世間は景気が悪いらしいね。かといって、今さら仕事を増やすのは嫌だしね」というえっちゃんに、るきさんはこう答える。

働かないね 働かないでケチする
家の中の物 みんな質に出そう

※出典:高野文子(1996年)『るきさん 増補』(文庫版)筑摩書房,116ページ

私たちはニュースで不景気だと聞けば不安になるし、今の仕事はいつまで続けられるのだろうと考えてしまう。しかし、るきさんはモノを手放すことで解決すると言うのだ。潔くてかっこいいではないか。

さて、るきさんは最後にナポリへ引っ越す。不景気な日本を飛び出して、あっさりと国境を越えて楽しそうに暮らしている様子をはがきでえっちゃんに伝えている。はがきを見たえっちゃんは、「ほんとにナポリかあ?」と疑うのだが、皆さんはどう思うだろう? 手に取って確かめてほしい。

文:石川 歩

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