自分のワクワクよりも周りの期待に合わせなきゃ、なんてない。
「学歴やファーストキャリアに縛られるには、人生はあまりに長いですよね」そう話すのは、お笑い芸人として活躍する石井てる美さん。米国元大統領候補ヒラリー・クリントン氏のモノマネなど、持ち前の明るさを生かしたネタで脚光を浴びてきた彼女だが、東大卒、マッキンゼー出身という異色の経歴でも注目を集めた。自身の経験をもとにキャリアに関する考え方を書籍やさまざまなメディアを通じて発信しており、進路に悩む若者のファンも多い。

今や、ステップアップのための転職が一般的になった時代だが、就職活動時の学歴格差や、新卒入社から3年以内に離職することへのネガティブなイメージがまだまだ根強い。コロナ禍の就職活動を経験した世代では、オンラインでの面談や選考が多いために入社後のイメージがつかみにくく、就職前後のギャップに悩んで1年目から転職を考える人も少なくない。しかし「今ここで辞めてしまったら、自分にできる仕事がなくなってしまう」「『せっかく就職したのに』と周りに言われるのが怖い」社会に出たばかりの人にとって、そう考えるのは自然なことだ。今回は、いわゆるエリートコースから芸能界へ転身し、お笑い芸人として活躍を続ける石井さんに、自身の経験やキャリアに対する考え方についてお話を伺った。
「お笑い芸人」の道なんてなかった。目の前のことに必死だった10代
自身のことを「ひょうきんな子どもだった」と振り返る石井さん。親戚で集まれば落語家の真似をしたり踊ったりと、いつもその中心で場をにぎやかす存在だった。中高時代には学園祭の実行委員を務め、企画から司会、そしてダンスなどの出し物まですべてやってのけた。大学院時代にインターンとして訪れたフィリピンでも、海外から集まる学生の前でモノマネを披露するなど「その頃からアフターファイブ要員、宴会要員だった」というが、当時からお笑い芸人を目指していたわけではなかった。
「中学受験で勉強のやり方をつかめないまま終わった後悔があった分、中学に入ってから勉強のコツをつかむと、俄然頑張るようになりました。目の前のことを頑張っていればどうにか道は開けるだろう、と思って生きていましたね。英語や海外が好きだったので、そういったことに関わる仕事をするんだろうなと思っていました」
高校卒業後、東京大学文科三類に進学。当初は国際関係や国際法を学ぼうと考えていた。しかし実地での研究に興味があった石井さんは、工学部に新設された「国際プロジェクトコース」に関心を持ち、説明会を訪れた。海外のフィールドで活動できることに魅力を感じ、意を決して理系に転向。研究のために海外に赴き、得意の英語を生かして自分の足で調査に行くという経験が、のちにコンサルティング業界を志すきっかけとなる。
「大学に進学した時、周りの先輩たちを見ていて、なんとなく自分が同じような道を進むのだろうと想像できるのがつまらないと感じるようになっていました。“理転”を止める人も周りにはいましたが、カーブの先が見えない方にワクワクして、その道を選んだんです。とにかく一生懸命やっていれば大丈夫、という気持ちでしたし、友達や先生にも恵まれた大学生活だったので、結果的に本当によかったなと思っています」
激務のコンサル時代。「いい意味での“ふてぶてしさ”が足りなかった」
大学院修了後の2008年、外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。コンサルタントとしてのキャリアを歩み始めた。激務の日々も当初はがむしゃらに乗り切ったが、1年目の冬に心身に不調をきたしてしまう。
「命を投げ出すことを考えるほど追い詰められていました」
“頑張れば道は開ける”と果敢に進み続けたがゆえの挫折。働き続けることが困難となり、数ヶ月後に退職することとなるが、当時のことをこう振り返る。
「今思えば、評価されることを気にしすぎてしまって、小さなミスをしただけでネガティブな感情を引きずっていたなと思います。多分、人としてもまだまだ未熟だったんですよね。あの頃から開き直っていられたらもっと強くいられたと思うのですが、当時は『ちゃんと評価されて、ちゃんとキャリアを積み上げていかなきゃ』と思っていました。完璧主義に陥って、自分を苦しめてしまっていました」
もし今、当時に戻るならーー
「当時から尊敬していたマッキンゼーの先輩に『自分の居場所はここだけじゃないからね。ここで評価されてもされなくても、別の場所でも仕事はできるはずだから』と言われたんです。そう思える強さが当時の私にはなかったなと。私は体調を崩してしまったので続けられませんでしたが、もし当時に戻るとしたら、もっとおびえずに仕事をしますね」
「失うものは何もない」それでも立ちはだかったお笑い芸人への壁
未だかつてなかった窮地に立たされ、自分らしい生き方を見つめ直した石井さん。その時ふと、心の奥底にしまっていた“人を笑わせたいという気持ち”が湧き出てきた。「もう一つの人生があるのなら……」それくらいの気持ちで抱いていた、お笑い芸人になるという淡い夢。
そんなことを考えていると、他者からの評価を気にする“他人軸”での生き方をしてきた自分が急に“ダサく”見えてきた。「私はいつまで自分の気持ちに嘘をつき続けるのか」「これからは“自分軸”で生きていきたい」
「失うものは何もない」と一念発起した石井さんは、新卒で入社したマッキンゼーを辞め、お笑い芸人養成所に入り、バイトをしながらの下積みを始めた。
「養成所を出たあと、芸能事務所に入るための審査があるんですが、そこでうまくいかなかったので事務所に所属できなかったんですよね。お笑い芸人なら、ちゃんとネタを作らないといけない。私は人を笑わせるのは好きでも、面白いと思えるネタを作ることが全然できなくて。それがまず、マッキンゼーを辞めた時よりもしんどかったかもしれないですね」
2015年ライブ「英語っぽく言う」
「もう1年やってみて、ダメならもう仕方ない」「夢に挑戦せずに終わるよりは、挑戦できたからまだいいかな」そんな考えも頭をよぎり、一時は再度就職活動も始めた。
そんな時、マッキンゼー時代のメンターだった先輩にこんな言葉をかけられた。
「お笑いの世界に飛び込むこと自体が、多分一番勇気がいること。そこを乗り越えたのに、1年やってダメだからとやめてしまうのか」
自分が納得でき、面白いと思えるものをまだお笑いで表現できていなかった当時。高校時代のように人前で自分をさらけ出すこともできていないと感じていた石井さんは、その一言から「ここでやめるのは違う」とお笑い芸人への挑戦を続ける道を選んだ。
環境のせいじゃない。続けることで見えてくることは絶対にある
その後「東大出身の女性芸人」としてクイズ番組への出演機会を得た石井さんは、それをきっかけに事務所への所属も決まったが、なかなか自分の殻を破れずにいた。
「当時のマネージャーは厳しい人で、『どうせお前にはネタなんかできないんだから、“頭の良い人” “知識人”としてテレビに出るのを目指しなさい』とよく言われました。
でも、ただテレビに出たいとか、そういうキャラとして売れていきたいわけではなかったんです。だからと言って面白いネタもできなかったので…マネージャーから見ても、何がしたいかわからない人に見えたでしょうね。自分も自分で、面白いことをやりたいのに形にできなくてもどかしい気持ちでした」
それでも「どうせできない」と言われた悔しさから、「ネタ番組に出る」という目標を掲げて活動を続けた。ついにネタ番組への出演が叶ったのは、入所から4年後のことだった。
「2013年に当時人気だった韓国アイドルのモノマネネタができて、それで初めて事務所ライブで優勝したんです。それまでは自分をさらけ出せていない感じがしていたのですが、その時から周りの先輩芸人にも『本当はこういうことがしたかったんだね』と言われるようになりました。
そこからテレビに出たりライブで優勝したり、初めてファンの人ができたりと、ようやく少しずつ殻を破ることができました」
そして2016年には、当時の米国大統領候補のヒラリー・クリントン氏のモノマネでブレイク。少しずつ、自分の中で前に進んでいる感覚があった。次はこれ、その次はこれを目指そうと前に進み、振り返るとお笑い芸人として続けられていた。
厚切りジェイソンさんと(2018年)
「マッキンゼーを辞めてから、“隣の芝は青くない”って気づいたんですよね。自分で変えるしかない、環境のせいにはできないって。続けることで見えてくることは絶対あると思います」
近年はラジオパーソナリティなど、活動の幅が広がった石井さん。新しいことに挑戦する難しさを感じつつ、自身が鍛えられている、成長を感じられるのが楽しいと思えるようになったという。
「『売れてやる』という覚悟を決めるのは勇気がいることですが、『ネタ番組に出てやる』という目標を立てた時も怖かったんですよね。大切なのは、ワクワクする感覚が得られるかどうか。『笑ってもらえるかな』とワクワクする気持ちがあることで、挫折や失敗も超えて続けられてきました」
人生の選択に正解なんてない。ワクワクを感じられる場所を探す
新卒で入社したマッキンゼーを退職し、お笑いの世界に飛び込んで12年。就職活動中の学生や若手社会人から、キャリアや人生に関する質問を受けることも多いという。そんな石井さんに、生き方に迷う人へのヒントを聞いてみた。
「これからどう生きていくか。今の場所に留まるのか、別の場所にいくのか。どれを選ぶにしても、その人が納得しているかが大事で、やりたいことや気になることがあるのならば挑戦してみればよいと思います。
自分がいきいきとしていられる場所とか、自分の存在や能力を評価してくれたりする場所ってあると思うんです。たとえ80歳まで生きるにしても、20歳前後で得た肩書きをその後60年も背負っていく必要はないと思っています。今いる場所がすべてじゃないし、学歴やファーストキャリアに縛られるには、人生はあまりに長いですよね
これはマッキンゼーで学んだことなんですが、『失敗しても、そこから起き上がらないのが失敗』なんですよね。Aに挑戦してみて、うまくいかなかったからBやCが正しかったのかというと、そうではなくて。どれを選んでもあとで自分が正解にできるかどうか。選択自体には正解なんてないと思うんです」
将来のビジョンが明確に見えなくても、なかなか結果が出なくても、その場にいることを選んだのは間違いではない。そのように、悩んだ時間を前に進むためのものとして捉えられるのが、石井さんの強さだと感じた。今、自分のワクワクを感じられる場所、そしてそのワクワクが刺激されるような環境にいるだろうか。一度立ち止まって、見つめ直してみたい。
一方で、目標を持って宣言することも大事だなと思っています。自分には他人の真似はできないけれど、自分には自分にできること、やりたいことがあるし、それに集中するだけだと思えるようになります。今までお笑い芸人としてやってきて、それに気付くことができました。自分は自分、という強さを持つこと。これを大切にしてほしいと思います。
編集協力:「IDEAS FOR GOOD」(https://ideasforgood.jp/)IDEAS FOR GOODは、世界がもっと素敵になるソーシャルグッドなアイデアを集めたオンラインマガジンです。
海外の最先端のテクノロジーやデザイン、広告、マーケティング、CSRなど幅広い分野のニュースやイノベーション事例をお届けします。

お笑いタレント
1983年生まれ、東京都出身。東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修士課程修了。2008年マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社。2009年10月、ワタナベコメディスクールに入学、翌年9月に卒業。2011年よりワタナベエンターテインメント所属。特技の英語を生かしたネタやヒラリークリントンのモノマネなど。2021年4月よりFM FUJIのワイド生番組「Bumpy」の水曜担当DJを務める。著書に『私がマッキンゼーを辞めた理由ー自分の人生を切り拓く決断力』(2013年、角川書店)、『キャリアを手放す勇気』(2018年1月、日本経済新聞出版社)。
Twitter @terumi_tellme
Instagram @terumi_ishii
公式ブログ「続・てるてる日記」 https://terumi-tellme.hatenablog.com/
みんなが読んでいる記事
-
2024/05/24“できない”、なんてない。―LIFULLのリーダーたち―LIFULL HOME'S事業本部FRIENDLY DOOR責任者 龔 軼群FRIENDLY DOOR責任者 龔 軼群(キョウ イグン)
2024年4月1日、ソーシャルエンタープライズとして事業を通して社会課題解決に取り組む株式会社LIFULLは、チーム経営の強化を目的に、新たなCxOおよび事業CEO・責任者就任を発表しました。性別や国籍を問わない多様な顔ぶれで、代表取締役社長の伊東祐司が掲げた「チーム経営」を力強く推進していきます。 シリーズ「LIFULLのリーダーたち」、今回はFRIENDLY DOOR責任者の龔軼群(キョウ イグン)に話を聞きます。
-
2025/09/01ポリコレとは?意味をわかりやすく解説|知っておきたい基本と背景
ポリコレとは何か、その意味と基本をわかりやすく解説。多様性が重視される現代社会の必須知識である「ポリティカル・コレクトネス」について、歴史的背景や具体例を交えながら、その本質を紐解きます。
-
2023/03/20なぜ、男女格差で困るのは女性だけと思われているのか|ジャーナリスト/相模女子大学大学院特任教授・白河桃子
146カ国中、116位(※1)――。2022年に発表されたジェンダーギャップ指数の日本の順位だ。順位が低ければ低いほど、ジェンダーギャップが大きい。つまり、男女格差が大きいことを意味する。日本以外の先進諸国……例えばフランスの衆議院の女性議員比率は39.5%(※2)、そしてニュージーランドに至っては48.3%と、ほぼ人口比率と同等までにジェンダーギャップの是正が進んでいる。しかし、日本の国会の女性議員比率は、15.5%と世界190カ国中140位。衆議院議員の比率では、なんと165位にまで落ちてしまう。ジャーナリスト・相模女子大学大学院特任教授の白河桃子さんは、「婚活」「妊活」を提唱した人物だ。現在はジャーナリスト活動の他、学生向けのキャリア教育、執筆や講演活動、政府の委員などを行っている。女性×キャリアが活動の軸だという彼女は、「ジェンダーギャップは女性だけが頑張るという問題じゃない。社会全体の問題だ」と話す。その理由を伺った。
-
2023/03/27【前編】増加する高齢者の孤独死とは? 1人暮らし高齢者が抱える課題の実態
日本では誰にも気付かれることなく1人で亡くなる「孤独死」が増えています。特に、高齢者の孤独死には日本社会が抱えるさまざまな問題が関係しています。この記事では下記の4点を解説します。①見過ごせない高齢者の孤独死の現状 ②なぜ増加する? 高齢者の孤独死の原因 ③孤独死の背景にある「社会的孤立」 ④孤独死を未然に防ぐための対策
-
2023/03/22晋平太・呂布カルマ・よよよちゃん鼎談/後編「ヒップホップ教に入ろう。主人公マインドで生きよう」晋平太(中央)・呂布カルマ(左)・よよよちゃん(右)
ラッパー晋平太さん、呂布カルマさん、歌まねヒロインよよよちゃんの3人が「アンコンシャスバイアス」やアンコンシャスバイアスが潜んだ言葉=アンコン語についての考え方、とらえ方、自分らしく生きるヒントを語っています。LIFULLとYouTubeチャンネル「Yo!晋平太だぜRaps」とのコラボ連動インタビュー後編。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。