40代でキャリアチェンジはできない、なんてない。
リンパセラピストの金子洋子さんは、5歳のときに心臓病で余命宣告を受け、25歳で膠原(こうげん)病を発症。 死と隣り合わせの人生を送るなかで、幾度となく打ちのめされ、そのたび度に不屈の精神で立ち上がってきた。「アパレル業界の花形」といわれるファッションプレスとして長きにわた渡り活躍したのち、45歳でリンパドレナージュサロンを開業。40代後半で異業種に転身した彼女の決断とそこに至る哲学とは?
異業種にキャリアチェンジできるのは20代まで。そんなふうに考えている人も多いのではないだろうか。転職において若さは財産であり、最大の特権だ。スタート地点が早ければ早いほど、さまざまな道が開けると思いがちだが、「年齢は夢を諦める理由にならない」と金子さんは語る。近年は働き方の多様化が進み、年齢や性別を問わず活躍できる社会になりつつあるが、既成概念はなかなか拭えない。華麗なる転身を遂げ、個人としての価値を高めてきた金子さんに、自分らしく働くこと、自分らしく生きることのヒントをもらった。
いくつになっても、やりたいならやればいい。雇われない働き方なら、可能性はある
幼少期を兵庫県神崎郡の山に囲まれた豊かな自然の中で育った金子さん。5歳の夏、心臓に疾患が見つかり「18歳までしか生きられない」と余命宣告を受ける。
「生きるためには手術が必要でしたが、まだ小さかった私は、医者に12歳まで手術を待つように言われました。少しの距離も走れない、プールにも入れない。できないことが多すぎて、自分をダメ人間だと思って生きていました」
5歳で病気が発覚してから医学は進歩し、小学5年生のときに手術は簡単にできた。「やっと人生をスタートできた気がした」と金子さんは当時を振り返る。高校卒業後は、美容部員として大手化粧品会社に就職。厳しい研修で皮膚や骨格の知識を徹底的にたたき込まれ、実務でフェイシャルトリートメントの技術を磨いた。
「お客さまに満足してもらえることにやりがいはありましたが、心の中でずっと“私は何者かになりたい”と考えていて。手に職をつけようと会社を辞めてデザインの専門学校に通うことにしました」
膠原病で店舗設計デザイナーへの道を絶たれる
専門学校を卒業して、店舗設計を手がける設計事務所に就職。仕事が軌道に乗ってきたころ、金子さんの身体に異変が起こる。診断結果は、膠原病。膠原病とは一つの病気を指すのではなく、さまざまな病気の総称であり、金子さんの場合は、「全身性エリテマトーデス、シェーグレン症候群、レイノー症候群、線維筋痛症の複合型」だという。
「最初、私は病名を知らなかったんです。母親が自分の足元で泣いているのを見て、今回ばかりは大変なことになったなと感じました。家庭医学書で症状から病名を逆引きして、自分は膠原病だと確信しました。そうしたら、最後に“死ぬ”って書いてあって。またかと、心の中で思いました。40℃を超える高熱と耐え難い全身の痛み、お気に入りだった仕事を続けられない悲しみでどん底の気持ちでした」
そんな絶望的な状況においても本来の三日坊主の性格が幸いし、病院で診断を受けてから3日目には布団から出て、椅子に座る生活を始めたという。
「落ち込んでいても仕方がない。まだ生きているのだから、これからどう生きるかを考えないと。前みたいに仕事はできなくても、私は社会で働きたい。そう思っていたら、とたんに病気が回復へと向かい始めました」
45歳で独立開業、異業種へ華麗なる転身を果たす
医者も驚くほどのスピードで社会復帰を果たした金子さん。療養していた期間は、わずか5カ月だった。「まさに、病は気からですね」と金子さんは笑う。体調を懸念して短期で働ける派遣社員をしていたものの、知人の紹介で華やかながら、地道で体力のいるファッションプレスの道へ足を踏み入れることに。
「ファッションのきらびやかな世界に憧れはありませんでした。仕事に関しては、何であろうと一生懸命。自らの知恵や技術を総動員して、目の前の課題に全力で取り組むのが私の仕事の基本姿勢です。ファッションプレスとして3社経験し、18年間この仕事に従事しました」
当時の金子さんを知る人は「病の影すら感じなかった」という。天職とも思えるプレスの仕事を辞めたのは2000年。ファッション業界が勢いにのっている時代に潔く身を引いた姿は、カッコイイとしか言いようがない。
スペインのアパレルブランドのプレスをしていたときは、出張で飛び回る日々が続いた。
「それまでの私は、サラリーマン至上主義でした。会社に行けばお金がもらえるし、与えられた仕事はきちんとこなすし。でもある日、勤めていた会社でゴタゴタに巻き込まれて仕事への情熱をなくしてしまったんです。これからは人に使われたくない。人の尻拭いをする人生はもうたくさん。別に大物になりたいわけでもないし、小さくても自分らしく生きていこうと決めました」
手に職を――。初めて転職を考えたときの純真な気持ちを思い出した。のちにサロンを開業するに至ったリンパドレナージュは、金子さんがプレス時代に飛行機での出張が続いたときに、体のむくみを解消する手段として出合ったものだ。身体に関わる仕事がしたい。金子さんが、原点回帰した瞬間だった。
リンパドレナージュを学べるスクールに入学したときは、すでに45歳。40代半ばで、未経験の分野に挑戦することに不安はなかったのだろうか。
「雇われて働くわけではないから、挑戦すること自体に不安はありませんでした。逆に、開業してからのほうが安心していられない。でも、もしなんらかの事情でお客さま全員にそっぽを向かれてしまったとしても、私なら生きていけると思っていました。職種を選ばずに、どんな仕事も楽しんでやれるから」
私の人生に壁はない。あったのは、障害物だけ
金子さんが運営するリンパドレナージュスクールの様子。
現在はサロンでの施術のほかに、リンパセラピストを養成するスクールの運営も手がけている金子さん。「忙しすぎて死にそう」と笑えないジョークをとばすあたりも実にチャーミング。とても膠原病を患っている人とは思えないバイタリティだ。
「私は今、56歳。元気で体も自由に動きます。命の期限を意識して生きてきたからこそ、自分にできることはすべてやってきたし、そのスピード感も大切にしてきました。本来、人間は誰もが死と隣り合わせで生きているはずなんです。だから、いくつになっても、やりたいならやったほうがいいと思います」
非常にドラマティックな人生を送ってきた金子さんだが、人生で壁にぶつかったことはないのだろうか。
「病気でやりたかった仕事を絶たれてどん底を味わったこともありましたが、壁と呼ぶほど大きな困難に遭遇したことはないです。私にとっては、どれも障害物程度のもの。障害物があったら一瞬立ち止まるけれど、策を練ればひょいっと乗り越えられる。何においても、そんな簡単に物事が進むわけじゃないから、自分に与えられた課題だと思って乗り越えるしかないんですよね」
幅広い年齢層の女性が国際レベルのリンパドレナージュを学びにきている。
美容部員、店舗設計デザイナー、ファッションプレスと多様な職業を通して、確実にキャリアアップしてきた金子さんだが、「私にキャリアなんてない。ただ、会社員として担当しただけ」と謙遜する。独立開業した今、金子さんにとって真のキャリアアップが始まるのかもしれない。
「サロンでの施術はこれまでどおり丁寧にやっていきたいと思っていますが、スクールのほうは少しアップデートしようと考えています。今年度から解剖生理学の講座を新設して、より知識と技術をもったリンパセラピストを育てていきたいです。自分のまわりにいるお客さまや生徒さんのために、自分ができることを精いっぱいやっていきたいと思っています」
リンパドレナージュサロン「セレッシャル」オーナーセラピスト。ITECリンパドレナージュ国際ライセンス取得。国際リンパドレナージュセラピスト協会代表理事。2008年に開業し、正しい知識と確かな技術、明るい人柄で更年期の女性をサポートすることに注力している。「タイド・リンパカレッジ」を開講し、講師としてセラピストの育成にも力を注いでいる。
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