日本人の作る音楽は世界に通用しない、なんてない。
英国・ロンドン市内から西におよそ25kmに位置する街、バッキンガムシャー州。この地にスタジオを構え、日々音楽制作に取り組む日本人がいる。映画音楽を中心とした作・編曲家の山本友樹(Youki Yamamoto)さんだ。ハリウッド映画など世界中で観られる作品に音で彩りを与える彼。その視野には、私たち日本人が本当に学ぶべき世界の姿があった。
音は直感的に伝わる。文法や発音、ネイティブな表現を学ぶ必要がある語学と違い、心地良く、あるいは激情的に奏でられる音楽はダイレクトに人の心に響く。音楽は誰もが使える共通言語だ。
しかし、そんな言葉がきれい事に聞こえる現状がある。商業的な成功が全てではないが、世界の音楽市場では、日本人は存在感を発揮できているとは言い難い。「日本人が奏でる音は世界の人々には響かないのか?」そんな疑問が頭をよぎる。
英国における映画産業の中心地とも呼ばれる映画スタジオ「パインウッド・スタジオ」。映画音楽を中心に作・編曲家として活動する山本さんのスタジオはここにある。彼はこの地で、ヨーロッパやハリウッドを中心に世界中で上映される映画作品に音楽で命を吹き込んで来た。
「僕は英国に移住し約30年になります。その中で、『日本人の音楽が世界に通用しない』と思ったことは無いです。むしろ日本人であることは世界ではアドバンテージになり得る。音楽やエンターテインメントに限らず、日本人はどんどん世界に出ていくべきですよ」
快活な口ぶりでこう語る山本さん。そのマインドは、いったいどのように築き上げられたのだろうか——。
日本人は、世界の中で
とてもユニークな
立ち位置にいる
山本さんが英国に移住したのは1988年。当時中学校を卒業したばかりだった山本さんは、日本人教育を目的に英国に開校した私立の日本人学校に1期生として入学した。15歳という多感な時期に、この決断を下すことは容易ではなかったはずだが、彼はことも無げにこう語る。
「『高校受験』というものに、僕は全く馴染めなかったんです。当時はデヴィッド・ボウイやワムといった英国の音楽グループに憧れて、とにかくロンドンに行きたいという思いがある中で、一期生の募集は渡りに船でした」
周囲に流されず、自らの信念で道を決めた山本さん。その気持ちを、懐かしそうな表情で振り返る。
「8歳の頃、単身ケニアの日本人学校にいたこともあったんですが、それも動物好きが高じて自分で決めたこと。『良い高校や大学を出て、良い会社に入る』という価値観を良い意味でも、悪い意味でも知らなかったのです。英国での学生生活は自然に囲まれた環境で、考える時間がたくさんあった。その結果、僕は人と違うことをしようと決めました。ロックやポップスのプロデューサーになりたいと思った中で、逆にクラシック音楽の名門・英国王立音楽院に進んだら面白いと思ったんです」
徹底して実力主義だった下積み時代
約200年の歴史を誇り、「ロイヤル」の名を冠する世界でも指折りの音楽学校。その作曲科に入学した日本人は、山本さんが初めてだった。当然、その教育レベルは最高峰のもの。本場で英才教育を受けてきた同級生たちの中で必死に学んだ。
「朝9時から夜中の12時まで、大学が開いている時間はずっと大学内で勉強していました。途中で諦めようという気持ちは一切ありませんでしたね。この大学を出たら、音楽で成功できると強く信じていました。それに、教授たちは僕を『日本人だから』と過小評価することはありませんでした。純粋に音楽の実力で評価してくれたことも大きかった」
名門校での競争を勝ち抜いた彼だったが、卒業後は思うように仕事を得ることはできなかったという。
「最初はある作曲家のアシスタントをさせてもらっていましたが、その彼のスタジオの庭の落ち葉を掃除したり、お茶汲みをしたりして毎日過ごしていました。『これでいいのか』という思いは常にありました。
しかし、今思えばお茶汲みのような一見無意味に思える時間で、作曲家がどうやって監督と接するか、何の話をして何の話をしてはいけないのかといった現場の作法が自然と身についていったんだと思います」
クラシックからポピュラーミュージックまで、長い音楽の歴史を紡いできたヨーロッパの地。そこでは、「日本人」という出自はハンデになっていたのだろうか?
「いやいや、さほど影響は無かったと思いますよ。英国王立音楽院にしても、実は卒業後に音楽で生活できる人は一握り。僕がいた当時、作曲科には大学院も含めて10人在籍していましたが、今でも音楽の仕事をしているのは僕を含めて2〜3人ほどです」
やがて、山本さんの元には映画音楽のアレンジの依頼が届くようになる。鍛え上げたクラシックの技量とセンス、そして持ち前の「自ら決めた道を突き進む」マインドで仕事をこなした彼の名は、欧米にも響き渡ることになる。
「お寿司屋さんでアルバイトをしながらの日々が5〜6年は続きましたが、後悔や諦めは一切無く、音楽で生きていくためにとにかく真面目に取り組みました。幸運にも人生で初めての映画の仕事が、ロバート・デ・ニーロが出演するハリウッド映画『大いなる遺産』(20世紀フォックス)だったんです。その後映画の仕事をいただけるようになったのも、日本人的な真面目さ、フットワークの軽さが重要だったのかもしれません。
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(ワーナー・ブラザース)で編曲とコンピュータのプログラムを任せてもらったときには、和太鼓の音などオリエンタルな要素を入れたらスタッフにすごく気に入ってもらえて。日本人というマイノリティ要素が、むしろ僕の魅力になっているんだと気づかされました」
肌で感じた、世界に根付く人種問題
現在ではハリウッドに限らず、ドイツ、フランス、トルコ、カタール、インド、中国など世界中からオファーを受けるという山本さん。その中で感じるのは、「日本対世界」という単純な二項対立ではなく、複雑な人種や宗教の構造図だ。
「世界の至る所で人種や宗教の問題にぶち当たります。例えば、ある地域や業界では、同じ人種や思想の人だけが集まり、実力があっても外の人間が入っていくことが難しい。そういうことは話題としては重くタブーのような雰囲気があり、メディアではなかなか目にする機会が無い。
でも、そういう問題って、ほとんどが2000年以上前の衝突を引きずっているからで、それを今の時代の仕事に絡めてしまうのは古いと思うんです。特に本来人を楽しませるはずのエンターテインメント界にその考え方が存在すればおかしな話です」
ダイバーシティを認める風潮の中で、頑然とある人種や思想の壁。その中で日本人が世界の中で置かれる立場にも気づかされたという。
「英国に約30年住んで、欧米の仕事をし、トルコ映画の曲を書いたり、カタールで指揮したりしてきました。そして気づいたのは、日本人は例えば中東あたりの人々からは『同じアジア人』と思われている。それに、ヨーロッパでは日本人に対する信頼度はとても高い。日本人の一つ一つの仕事に取り組む姿勢、そしてやってもらった仕事に対してきちんとお礼や対価を支払うスピードの速さ(笑)。こんなに信頼関係を築ける人種はいません。日本人って、
相手がなに人だろうとうまくやっていけちゃうんです。日本人は世界の中でとても優位でユニークな立ち位置にいるんです。これを仕事に生かさ無い手はないじゃないですか。
日本にいて入ってくる情報もありますが、それをそのまま受け止めるだけじゃなく、能動的に世界の実情を知るべきです。自分に直接関係の無い他国の政治や宗教に無関心・不寛容にならないこと。さまざまな情報に触れて、オープンマインドでいること。それこそが日本人にとって重要なことだと思っています」
自分たちのユニークさを知り、チャレンジすること
世界での日本人の“現在地”を知る山本さん。日本国内の状況、特に世界に出ていける力を持った若者たちの現状を、彼はどう見ているのだろうか。
「感じるのは、物事を一面的に見る人が多いこと。今の時代は、欲しい情報が何でも手に入るだけじゃなく、知られたくない情報は遮断できてしまう。一度自分が信じたことがうそだった場合、それを否定されるのを嫌がる人が多いように思います。例えば、インターネットの情報を基に海外に興味を持って留学や旅行に出る人は増えたと思いますが、そのときに得た体験だけが世界の全てだと思ってしまう。こうなると、世界と日本とのギャップに気づけなくなります」
恵まれた日本の環境は素晴らしいですし、独自のものが生まれるのは一つの文化。ですが、ズレが大きくなりすぎると日本人自身が『自分たちは世界では通用しない』という間違ったコンプレックスを持ってしまう。それこそが問題だと思います。
もし日本以外の国や人と仕事をする機会があるならば、世界を自分のこととして捉え、文化や市場を可能な限り学び、その中にいる自分たちのユニークさを認識した上で、やりたいことにチャレンジしてみてほしいですね。自分の力が世界に通用するのがわかるはずです
1973年、神奈川県横浜市生まれ。英国在住の映画音楽作・編曲家など。ハリウッドやヨーロッパの映画作品を中心に活動。『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(ワーナー・ブラザース)、『わたしを離さないで』(20世紀フォックス)など多くの作品を手掛ける。サラ・ブライトマンのアレンジメントやジャズギタリスト渡辺香津美とのコラボレーション、公式カタール国歌の編曲・指揮を担当するなど、映画音楽以外でも精力的に活動する。トルコ映画「メリアム」では、アンタルヤ・ゴールデン・オレンジ映画祭最優秀音楽賞を受賞した。
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