性別は「男と女」だけじゃない。ノンバイナリー、Xジェンダー…当事者の声と活動史から紐解く多様な性のあり方と「誰もが生きやすい」未来|社会学者・ジェンダー研究者 武内今日子
「人間は男性か女性かのどちらかである」「性のあり方は生まれつき決まっていて、一生変わらない」。こうした考えに代表される、性のあり方を「男性」か「女性」の二択のみで捉える性別二元論が、制度やマスメディアのなかで長らく浸透してきた。
社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究を専門とする関西学院大学社会学部助教・武内今日子氏は、こうした性別観に異議を唱える。その理由はシンプルだ。現実には、性別二元論に当てはまらない性自認や性的・恋愛的な惹かれ、性表現など、「性」には実にさまざまなあり方が存在しているからである。多様な性を理解するうえで、私たちにいま必要な知識とは何なのだろうかーー。
「性の多様性」が注目されて久しい今も、男女の二元論や異性愛こそが“普通”とされる価値観が社会には根強く残っている。日本では同性婚は依然として法的に認められておらず、学校では多くの場所で「男子はズボン・女子はスカート」という性別に基づく制服規則が続いている。職場でも性別による役割分担が色濃く残り、「男性営業」「女性事務職」といった職種の偏りや、性別を理由にした賃金格差が問題となることも多い。さらに、出生時に割り当てられた性別とは異なる性を生きるトランスジェンダーの人々への理解は依然として乏しく、ノンバイナリーやXジェンダーなど、性別二元論に収まらない性自認への認識も低いままだ。
こうしたなか、武内今日子氏は今年3月に『非二元的な性を生きる――性的マイノリティのカテゴリー運用史』(明石書店)を出版した。本書では、29名へのインタビューやミニコミ誌、インターネット上のテクストをもとに、1990年代から2010年代の日本において、ノンバイナリーやXジェンダーといった「男性」か「女性」に当てはまらない非二元的な性の概念がどのように用いられてきたかをたどっている。
今回のインタビューでは、性の多様性への理解を深めるために、性自認や性的・恋愛的な惹かれ、そして性表現に関する基礎的な概念について、武内氏に話を聞いた。
自分が常に「マジョリティ側」にいるとは限らないからこそ、生き方の可能性をあらかじめ閉じてしまわない方が、誰にとっても生きやすい社会につながる
「違和感」が出発点だった
非二元的な性を生きる人々を研究対象にした背景には、武内氏自身が、社会における“当たり前”の価値観に対して違和感を抱いていたことがあるという。人間は本当に男性か女性の二つに分けられるのか? なぜ学校生活では、それを前提にグループ分けされるのか? そうした疑問を抱えたまま大学に進学し、サークル活動などを通じて性的マイノリティと呼ばれる人々に出会った。かれらとの対話のなかで男女の二元論に当てはまらない性自認を指す「ノンバイナリー」「Xジェンダー」という言葉を知り、そこから歴史を調べるようになったという。
「最初は、私にとって身近な存在であるノンバイナリーの人たちの経験について調べていたのですが、歴史を学ぶなかで、自分とは異なる世代の人々にも興味が湧いてきたんです。といっても、過去30年くらいの比較的近い歴史なのですが、自分が気づかないまま通り過ぎていたことも多くて。でも、ネット上を含め、これまで本当にさまざまなコミュニティや言葉が存在していて、インタビューを通じてその奥行きを知っていきました」
武内氏はこのテーマで研究を深め、これまでに「未規定な性のカテゴリーによる自己定位―Xジェンダーをめぐる語りから」(『社会学評論』第72巻第4号、2022年)や、「『性的指向』をめぐるカテゴリー化と個別的な性―1990年代における性的少数者のミニコミ誌の分析を中心に」(『ソシオロジ』第66巻第3号、2022年)などの論文を発表している。また、ジェフリー・ウィークス著『セクシュアリティの歴史』(筑摩書房、2024年)の共訳も手がけた。そして2025年3月に、『非二元的な性を生きる――性的マイノリティのカテゴリー運用史』(明石書店)を出版した。
性のあり方は生物学的に決まらない
武内氏は、「ジェンダー」という言葉について「社会や文化によって構築されてきた性差を表すもの」だと説明する。そして、出生時に外性器や内性器に基づいて割り当てられる性別――つまり戸籍に記載される性別は、男女という二元的な枠組みで成り立っていると指摘する。実際には、身体の特徴も多様であり、明確に男性・女性のいずれかに分類できないケースもある。また、出生時に割り当てられた性別に関係なく、個人が自身の性をどう認識するかも多様だ。
「フェミニズムにおいては、身体に基づく性差ではなく、社会的・文化的に構築された性差を指す言葉として、1970年代ごろから『ジェンダー』が使われてきました。出生時に割り当てられた性別も、男女のいずれかとして実は社会的に意味づけられてきたものです。現状の医療や法律の枠組みが非二元的な性を生きる人――つまりノンバイナリーやXジェンダーの人々にとっては生きづらさや困難を生む要因になっているのです。性自認といえば、女性や男性がよく知られていますが、性自認をノンバイナリーやXジェンダーと捉える人もいますし、両性・無性、あるいは性自認が揺れ動くような流動的なあり方もあります。」
こうした理解が少しずつ広がる一方で、いまだに「性別二元論こそが自然だ」とする言説は根強い。「男性はリーダーシップがある」「女性は家庭的である」といった固定的な性役割が、生物学的な性差によるものとしてとらえられていることも少なくない。武内氏は、そうした見方をきっぱりと否定する。
「もし二元論が自然なのであれば、現実にこれほど多様な性自認やジェンダー表現は存在してこなかったはずです。実際には、さまざまな性自認を持ち、固定的な性役割に沿わずに生きている人が存在していて、そうした人たちの声や生き方こそが、“性のあり方は生物学的に決まる”という考えの誤りを示していると思います」
性的・恋愛的な惹かれや性自認、そして性表現を混同しないことが大切
多様な性を理解するうえで重要なのが、「女性だから恋愛的・性的な対象は男性」、「男性だからマスキュリン、女性だからフェミニン」などと、性的・恋愛的な惹かれや性自認、そして性表現などを混同して決めつけないことだ。
性表現とは、外見・言動・服装などを通じて他者に示される性のあり方を指す。それぞれの社会や文化のなかで、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と期待される表現が存在しており、それらが出生時に割り当てられた性別とつなげられて理解されてしまうことが多い。
「性自認、性的・恋愛的な惹かれ、性表現など、さまざまな要素があって個々人の性が成り立っていますが、それぞれを連続するものとして結びつけてしまう傾向があると思います。たとえば、『フェミニンな格好をしている人=性自認が女性』とか、『男っぽい格好=性自認が男性』といった見方です。でも、実際にはその人はノンバイナリーかもしれないし、見た目ではアイデンティティは判断できません」
また、「ノンバイナリー」や「Xジェンダー」といった言葉の意味合いも、人によって異なる。『非二元的な性を生きる――性的マイノリティのカテゴリー運用史』では、それぞれの言葉がいつごろ登場し、どう使われてきたかという歴史的背景とともに、それが当事者にどのような影響を与えたのかが丁寧に記されている。
「Xジェンダーやノンバイナリーという言葉は、あまり明確な定義があるわけではなく、人によって意味づけが異なります。『男女どちらかには当てはまらない』という点では共通していますが、言葉やその解釈はさまざまです。こうした多様な意味づけについては、匿名掲示板やSNSなどのインターネット上で、当事者の間で議論が重ねられてきた歴史があります。現在は、それぞれの定義やあり方を尊重しようという流れに落ち着いています。その背景には、制度や医療の領域で定義づけされてこなかったという事実もあります」
性の多様性が認められている社会は、誰にとっても生きやすい社会
武内氏は、性の多様性はマイノリティとされる人々だけに関わる問題ではないと指摘する。性的・恋愛的な惹かれや性自認、性表現は「こうあるべきだ」という期待は、誰にとっても生き方を制限してしまう可能性があるからだ。
「望まない性役割を押しつけられることは、誰にとっても苦痛だと思います。たとえば男性であれば『長髪はダメ』、『女々しい態度はよくない』といったような性役割や性表現に関する規範は、多くの人にとって息苦しいものです。性の多様性が認められている社会は、誰にとっても生きやすい社会だと思います」
また、自分はマジョリティであり、「性の多様性は自分には関係ない」と考えている人に対しても、それがいつ揺らぐかはわからないと強調する。たとえば、長く男性であると自認していても、ある時点で男女の性の枠組みのなかで生きることがつらくなるかもしれない。あるいは、性的惹かれのあり方が変化したり、自身がアセクシュアルであると気づくこともありうる。家族やパートナーが性的マイノリティだとわかることもある。自分が常にマジョリティ側にいるとは限らないからこそ、生き方の可能性をあらかじめ閉じてしまわない方が、誰にとっても生きやすい社会につながるのではないか、と提案する。
一方で、性的マジョリティとされる人と、性的マイノリティとされる人とでは、日常的な経験が同じではないという点については、明確に認識する必要があるとも述べる。
「マジョリティの人が、マイノリティの人が経験するような困難を経験せずに済んでいるということ、すなわち特権性があることは認識しなければいけないと思います。自分とは異なる他者がどのような困難を抱えているのかに、関心を持てる社会の方が望ましいのではないでしょうか。性に関することにかかわらず、誰もがそれぞれ何らかの脆弱さを抱えて生きています。自分が困っている状況を生み出す社会の仕組みに対して、他の人がまったく無関心でいたら、きっと困るはずです。だからこそ、比較的特権的な立場にいて、気づかずに誰かの足を踏んでしまいやすいマジョリティ側の人々が、きちんと関心を持つことが必要だと思います」
そのうえで、マジョリティ側の人々がまず取り組むべきこととして、「知識をつけること」が重要だと語る。教育現場や企業において、講習会や研修などを通じて学びの機会を設ける必要があり、特に学校であれば教員、企業であれば管理職など、力を持ちやすい立場にある人たちが知識を得ることが求められる。
「『身近に性的マイノリティはいない』と思っている人もいますが、統計的には13人に1人程度の割合でいると言われています。部署に1人、学校のクラスにも1人はいる可能性がある。だからこそ、『いない』前提ではなく、『いる』前提で考える必要があります。
たとえば、名前については外見からその人のジェンダーを決めつけて「~さん」「~くん」と呼び分けるのではなく、本人の希望がない限り「~さん」で統一して呼ぶべきだと思います。
大学でゼミ合宿などを開催するときには、個室で宿泊する選択肢をあらかじめ設けておくと、男女に当てはまらない性自認をもつ人だけでなく、大部屋で他の人と一緒に過ごすことに抵抗のある人も参加しやすくなります。また、差別的な発言をする人がいたときに、それに対して一緒に笑ってしまうのではなく、『それは違うんじゃない?』と、知識に基づいて声をあげられる人が1人でも多くなってほしいと願っています」
取材・執筆:南のえみ
撮影: 坂元拓海

1993年栃木県生まれ。東京大学文学部行動文化学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(社会学)。東京大学大学院情報学環B'AI Global Forum特任助教を経て、2024年4月より関西学院大学社会学部助教。専門は社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。
主な論文に「未規定な性のカテゴリーによる自己定位―Xジェンダーをめぐる語りから」(『社会学評論』72巻4号,2022年)、「『性的指向』をめぐるカテゴリー化と個別的な性―1990年代における性的少数者のミニコミ誌の分析を中心に」(『ソシオロジ』66巻3号,2022年)、共訳書にジェフリー・ウィークス『セクシュアリティの歴史』(筑摩書房,2024年)などがある。2025年3月に。『非二元的な性を生きる――性的マイノリティのカテゴリー運用史』(明石書店)を出版
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