【寄稿】育休を経て広がった「愛する」の幅|パパ頭
育休は子どものためだけでなく、夫婦のための時間でもある
こんにちは、パパ頭と申します!
高校で倫理を教える傍ら、趣味で育児漫画を描いております。
二児の父であり、子の誕生時にはいずれも育休を取得、その経験は育休明けから数年が経過した今でも日々の育児に役立っています。
今回は、改めて振り返ってみて感じる「育休を取って良かった!」と思う点について、漫画では表現しきれていない話も交えながら考えてみたいと思います!
人間は、考え方や価値観を変化させながら生きている
誰かを「愛する」時、具体的にはどうしたら良いのか、私は昔からよく考えてきました。
入りから急に倫理の授業のようになってしまって恐縮なのですが、愛するための方法、それを考える上で私にとって一つ重要となる命題がありました。それは、人間をどんな存在として捉えるかです。
私は以前まで、人には決して変わることのない核、いわば「本当のその人」とでも呼べるようなものがあると思っていました。
例えば10年ぶりに再会した学生時代の親友に対し、時の経過に比例してお互い大きく変化していたとしてもなお、「昔と変わらないな」と言い合えるような、お互いの本質のようなものが人にはあるのだと考えていたのです。
そう考えた方が、何となく安心できるような気がしていました。しかし今では少し考え方が変わってきています。
人間は、人生の中で獲得するさまざまな経験を通して、考え方や価値観を変化させながら生きています。
それは何も表面的な部分だけでなく、人格に関わるような根本的な部分も含め、常に変化していく可能性を秘めている。私たちには不変の本質があるのかもしれない、しかし仮にあったとしてもそれは私が思っていたよりも小さく、人間はとても柔軟な存在なのだと、そう捉えた方が自然だと考えるようになりました。
夫の自分が誰よりも妻を理解している、なんてない
冒頭の問いに戻りたいと思います。誰かを「愛する」時、具体的にはどうしたら良いのか。もしも私たちに不変の部分があるのなら、話は比較的簡単です。
不変の部分を理解し、それに基づいた愛し方さえ見つけてしまえば、きっとその方法はいつでも通用するでしょうから。
ただ、もしも私たちに不変の部分などなく常に変化しているのだとするなら、話は複雑になります。相手の変化をつぶさに観察し、これに適応、愛し方を常にアップグレードしていくことが必要になるからです。
私は妻と交際を始めてから結婚、子の出産に至るまで、約10年の月日を一緒に過ごしました。親は除くとして、人生において最も近く、最も深く、最も長い時間を共にした人間が妻なのです。
私には誰よりも妻について詳しい自負があり、そして誰よりも上手に妻を大切にできる自信がありました。
以前の私は、状況が変わったとしても決して変わることのない「本当の妻」を知っている数少ない1人であり、どうすれば妻を幸せにできるのか、「愛する」方法をよく理解していると思っていました。
しかし、今思うとその感覚は危険ですらありました。なぜならば、人は常に変化する存在であり、それは妻も同様。いつでも不変の「本当の妻」なんてものはないかもしれないからです。
状況の変化が大きいほど、妻自身の変化だって大きくなります。子の誕生は、まさにそれでした。
正直に告白すると、私は時折、妻の変化に伴走しきることができず、彼女の期待を裏切ることがありました。どういうことか、具体的なシーンを話してみたいと思います。
育児で疲弊し切って、初めて理解した妻の気持ち
ある日のことです。子の就寝後、妻はひどく疲れた様子でうなだれていました。
妻とは長い付き合いです。気分が落ち込んでしまうような夜は、お互いこれまでに何度もありました。その度に私たちは助けあい、支えあって乗り越えてきたのです。
私は即座に、今自分が何をしたらいいのかを理解しました。正確には、理解した気になりました。
気分が落ち込んだ時には、まず何か飲み物を勧める。妻の気分を確認しながら、砂糖はいつもよりちょっと多めに。気分が落ち着いてきたところで、何があったのか話を聞き取る。
いきなり核心に触れたりせず、ゆっくり丁寧に時間をかけて。妻が語ってくれたことは否定せず意見せず、聞くことを大切にして尊重する。これまでずっとそんな風にして夜を乗り越えてきました。
そうやって妻に寄り添い、大切にしてきたのです。
それが私の「愛する」でした。
だから私はこの時も、これまで培ってきた方法を、同じように妻に施しました。
「何か飲み物をいれようか、何がいい?今日はどんな日だったの?」しかし妻の反応は、予想していたものとは違っていました。
「私に質問しないでくれ…」
絞り出すように言ったその言葉には、怒りが混じっているようにすら聞こえました。私は困惑し、その後も色々と試行錯誤してみたものの、結局妻は「静かにしてくれ…」と告げたきり黙りこくってしまいました。
私は、「愛する」がうまくいかなったことを理解しました。しかしこの時の私は、いったい何が良くなかったのかを理解することはできませんでした。
それからしばらく経ったある日、今度は私がひどく疲れきっていました。原因は子どもたちです。
大人の体力には限界があり、穏やかな暮らしには秩序が必要。しかし対する子どもの体力は無尽蔵であり、彼らのやることはおよそ秩序とは無縁です。
幼稚園に行かなければならないのに、部屋の片付けはおろか食事や着替えすらままならず、こちらの指示は受け取らないくせに、まるで重ねがけるように次々と話題を振ってくる。
頭の中はタスクでいっぱい、予定通り進めたいのにうまくいかず、もはや論理立てて考えることすらままならないような時間が延々と続くにつれて、みるみるうちに疲弊していく脳。何とか寝かしつけを終えた頃には、疲れているを通り越して頭から煙が出そうな状態、もう何も考えたくないし考えられない。
私はリビングで頭を抱えうなだれていました。そんな私を見て妻は、そっと甘いお菓子とコーヒーを机に置き、自分はというと何も言わずに趣味のお絵かきをし始めました。
その瞬間、私は理解しました。
「あ!これだったのか!」と。
かつて私は、疲弊しきっている妻に対し、何が飲みたいのか、どうしてそんな疲れてしまったのか、聞き出そうとしました。それは善意からの行動でした。でもこの時、初めて理解したのです。まったく余計なお世話だったのだと!
限界まで疲弊しきった脳にとっては、ちょっとした質問ですら凶器になりうる。あの時、妻はいっそ放っておいてほしかったのです。私には勝手にしていて欲しかった。にも関わらず変に絡んでくるもんだから、困っていたわけです。
実際に自分が育児にかかりっきりになり、すりきれるほど脳を消耗したことで初めて、妻が抱えていた苦しさと、求められていた対処を理解することができました。
パートナーの変化を柔軟に捉えて、「愛する」の幅を広げる
妻を「愛する」気持ちは、今も昔も変わりません。しかし状況が変わり、妻自身が変化すれば、「愛する」ための具体的な方法は当然変わります。
かつての私にとっての「愛する」は、話を聞いて尊重することでした。しかし今は、静かで安心できる時間を用意してそっとしておくことも選択肢の一つに加わりました。
変化を前提にすることで、「愛する」の幅を広げることができる。それはさまざまな場面に当てはめることができると思います。
食事を例に考えてみましょう。妻に喜んでほしいなと思った時、子どもが生まれる以前であれば外食は有効な手段でした。
しかし子どもが小さいうちは、かえって手がかかって落ち着いて食べられない。それならむしろ手料理を振るまった方が、妻もリラックスできるでしょう。
メニューについても同様です。かつては食べごたえのあるガツンとしたメニューがウケたかもしれない。でも今はそれを子どもも食べるわけです。野菜をたっぷり使った栄養満点のメニューの方が、妻も嬉しいと思います。
配膳の仕方にだって工夫の余地はあります。昔は、ドカンと大皿を中央に置いて、各自好きなように取り分けるスタイルが自分のペースで食べ進めることができて良かった。でも今それをやってしまうと子どもが好きなものばっかり食べてしまうリスクがある。
予めワンプレートに副菜を取り分けておくようなスタイルであれば、適切な量を食べさせることができ、妻も安心してくれるはずです。
子どもの誕生という大きな変化が生じたことで、妻自身も変化し、喜ぶポイントも変化していく。
「愛する」の幅も、その変化を捉えて柔軟に広げていくことが大切だと感じます。
ただそうなると、相手をつぶさに観察し、その変化を丁寧に捉え続けていくことが必要不可欠になってきます。私が、今改めて振り返ってみて感じる「育休をとって良かった!」と思う点は、まさにここにあります。
よほど卓越した想像力の持ち主でない限り、相手の変化を丁寧に捉えるためには時間や経験を共有する必要があります。
それが人生初にして最大のミッションといっても過言ではない育児であれば、なおさら。「育休」は、それを実現しやすくしてくれるのです。
もしも私に朝から晩まで育児にかかりっきりになる経験がなかったら、私は今でも疲れきった妻に対して今日のできごとを確認しようと質問を繰り返していたでしょう。その度に妻を追い詰めていたかもしれない。
相手の変化を見落とし、「愛する」の幅を広げられない状況の中、かつては通用した方法に執着してしまっていた可能性が高い。
最悪の場合、自らを省みることもなく「こんなに気遣ってあげているのに何なんだ!?」と、相手を責めるような気持ちになっていたかもしれない。
子の誕生後に生じる、夫婦のすれ違いの原因の一つはここにあるように思います。
「こんなに大事にしているのにいったい君はどうしてしまったんだ!?」
「昔はあんなにうまくいっていたのに!!」
と思うことがあるとしたら、振り返って捉え直してみる必要がある気がします。
捉えるべき相手の姿を見誤り、大切にするための方法をアップデートし損ねているかもしれないからです。大切に思う気持ちはあるのに方法を誤ったばかりにすれ違うのだとしたら、とても悲しいことです。
育休は子どものための時間ですが、実際にはそれだけにとどまりません。それは夫婦が互いを深く理解し「愛する」の幅を広げることにも通じる、いわば夫婦のための時間でもあるのです。
誰かを「愛する」時、具体的にはどうしたら良いのか。育休を経て、ちょっとだけわかった気がします。
二児の父。公務員。2017年に第一子が誕生するのを機に、「今の気持ちを日記に残すつもりで」描き始めた育休時のエピソードを漫画にしてTwitterに投稿したところ、次第に子育て世代を中心に評判が広がり、フォロワーは現在約10万人に(2023年6月時点)。大手出版社の編集者から単行本化の声がかかり、『パパが育休とってみたら妻子への愛が深まった話』(KADOKAWA)を発売。
Twitter @nonnyakonyako
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