地域スポーツは衰退するだけ、なんてない。―15年間勤めた教師を辞め、「街のサッカークラブ」を経営する渡辺恭男が語る情熱の根源―
あなたが住む地域にとって、「スポーツ」はどんな存在だろうか? 近年、街の公園や広場などでは「ボール遊び禁止」「大声禁止」といった規制が当たり前になった。自分がスポーツをすることはもちろん、他人がプレーする姿を見かける機会も減少しているのではないだろうか。
教育現場でも子どもや親の価値観が多様化し、一つのスポーツに打ち込むことを美徳とする傾向は薄くなっていると言われる。そんな中、千葉県船橋市でサッカークラブ「VIVAIO船橋」を運営しているのが渡辺恭男さんだ。
学校の部活動や少年団、プロサッカーチームの下部組織なども存在する中で、渡辺さんは独立したクラブの経営を通じて何を実現しようとしているのだろうか?
千葉県船橋市は約64.5万人の人が暮らす大規模都市だ。政令指定都市ではない市では日本最大の人口を誇る。それだけ、多くの人にとって住みやすい環境が整った街だと言える。
一方で、船橋は「サッカーの街」としても有名だ。船橋市立船橋高校サッカー部は全国高等学校サッカー選手権大会で5度優勝するなど、名門中の名門としてその名を全国に轟かせている。
そんな船橋市で、学校の部活動や少年団ではなく独立した「街クラブ」を立ち上げ、地域のために奮闘しているのが渡辺さんだ。サッカークラブ「VIVAIO船橋」には2歳〜15歳までの選手たちが600名以上も所属し、汗を流している。6月26日から30日まで韓国遠征を行ったU-15日本代表チームはJリーグクラブの下部組織所属選手が大半を占める中、VIVAIO船橋ジュニアユース所属の大島琉空(おおしま りゅうあ)選手が選出されたことも話題に。地域クラブとしては異例の成果を挙げている。
「子どものころから船橋に貢献したいと強く思っていたんです」と語る渡辺さん。その情熱は現在、VIVAIO船橋の経営に余すことなく注がれている。実際に練習場を尋ねると、そこにはクラブ卒業後も渡辺さんを慕って訪れる元教え子の姿もあった。嬉しそうに元教え子のプレーを見守る渡辺さんに、クラブと地域に込める思いを聞いた。
渡辺さんの背後には、薫陶を受けた元教え子の姿が
教師を辞めても、借金をしても。地域を、スポーツを、子どもを愛する指導者の信念
「船橋に貢献する」。名門・市船サッカー部で芽生えた決意
渡辺さんの幼いころからの夢は「教師」だった。テレビドラマで見た熱血教師に憧れ、その時点で「絶対に先生になる」と決めていたという。「それ以降、中学生や高校生になってもその夢はまったく変わりませんでした」と渡辺さんは語る。
高校では、現在サッカーの名門として知られている市立船橋高校(以下、市船)サッカー部に所属。しかし、その当時は選手としての向上心を燃やしていたわけではなかったという。
「入学当時の市船サッカー部はまだ強くなる前で、練習もハードではなかった。『これなら自分も試合に出られるかも』と感じて、サッカー部に入ったんです」
しかし、市船サッカー部は渡辺さんが入学して暫くすると激変する。のちにU-19日本代表やJリーグ・松本山雅FCなどで監督を務める名指導者・布啓一郎(ぬの けいいちろう)さんが顧問に就任。全国制覇を目標に掲げ、厳しい規律と練習が課されるようになる。
「キツすぎて、一緒に入った部員はほとんど辞めてしまいました。ただ、そのおかげで僕はレギュラーになることができて、3年生で全国の舞台に出ることができたんです。
こんな貴重な経験ができたのは市船と布先生のおかげ。この時、『教師になって恩返しをしよう、船橋という地域に貢献しよう』という気持ちがより一層強くなりました」
「妻は家事をしながら泣いていた」教員を離れ、クラブ経営に乗り出した理由
その後、日本体育大学を卒業した渡辺さんは念願の教師として働き始める。中学校で特別支援学級とサッカー部の顧問を担当。幼少期の夢と高校時代の決意を実現し、仕事に全力を注いだ。
しかし、9年目を迎えた頃、変化が訪れる。日本のプロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生し、各Jリーグクラブは「ユース」「ジュニアユース」などと呼ばれる育成年代チームを創設。中学校や高校のサッカー部以外に、サッカーに取り組む場が生まれた。
「当時の部活動サッカーは、下級生がボール拾いや走り込みばかりやらされている状況でした。一方、Jリーグの下部組織は年齢関係なくボールを使った練習ができる。多くの子どもたちがJクラブを目指しました。レベルや倍率が高いので入団テストのハードルも高いのですが、受からなかった子どもさんも部活を選ばず、地域のサッカークラブに入るようになったんです」
当時も今も、船橋市にはJリーグクラブもなく、地域クラブも他所と比べると少ない環境。船橋の選手たちは続々と他所の街に流出していった。
「危機感を感じ、自分の学校の部活動以外にも船橋の選手を集めて、週3回のトレーニングを開催しました。もちろん教員の仕事もしながら、時間と身を削って、船橋で練習できる環境を整えたんです。それでも、クラブを目指して子どもたちが流出していく流れは変わらなかった。船橋にも、魅力的な街クラブが必要だと感じました」
渡辺さんは一念発起し、船橋市のサッカークラブ「VIVAIO船橋」を創設。まずは教員と掛け持ちをしながら、徐々にクラブ一本での地域貢献を目指す方向にシフトしていく。
「教員と掛け持ちでクラブを始めて数年で、『学校を辞めてクラブ経営に専念する』と決めました。安定を捨てて独立するのは僕にとっても大きな決断でしたよ。でも、絶対に必要だと思ったんです。
学校や家族からも大反対を受けました。校長先生からは毎日校長室に呼ばれて説得されましたし、妻は家事をしながら泣いていました。それでも、認めてもらうまで説得を続けました」
地域に成果を残し、子どもが帰ってこられる場所に。クラブだからできる貢献とは
並々ならぬ覚悟でクラブ経営の道を選んだ渡辺さん。何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか。本人に疑問をぶつけると、地域や子どもを第一に考える渡辺さんらしい答えが返ってきた。
「クラブ経営は、成果を地域に積み上げること、残すことができるんです。
地方公務員である中学校教師は、数年スパンで別の学校へ異動することになります。僕もいくつかの学校に赴任しました。その中で、一つの学校で、その学区の人々や子どもと信頼関係を築き上げても、異動になるとまた0になってしまうことが多いように感じたんです。多くの学校で画一的なカリキュラムが採用されるのにはそうした背景があり、教師たちもそれに沿って仕事をすることになります。
一方クラブはより地域と密に接し、関係性を繋いでいくことができる。それが魅力であり、船橋への貢献だと感じるんです」
さらに、現在スポーツに取り組む子どもたちやその親が部活動に感じる課題を、クラブでならフォローできるという。
「今は子どもの数が減っていて、逆に選択肢は増えている。部活動における集団スポーツは、競技に必要な人数ギリギリしか部員がいないことも多々あります。そんな中で土日全てが練習か試合、となると、気軽に休んだり辞めたりできないですよね。家族旅行にも行けないわけです。
VIVAIO船橋はサッカーを楽しんで、卒業後も続けたいと思えるクラブにしたい。規律で縛り付けられて、休みなく厳しい練習をさせられた選手がサッカーを辞めてしまう姿をたくさん見てきました。だから僕は練習をさせすぎず、土日も休みたければ休んでいいという雰囲気づくりを大切にしています」
「船橋だけ、サッカーだけじゃない」渡辺さんが挑む、スポーツ界全体の課題
もちろん、VIVAIO船橋をはじめとした街クラブも多くの課題を抱えている。渡辺さんは、「船橋だけ、サッカーだけじゃなく、日本スポーツ全体のことを考えないといけない」と語る。
「コロナ禍で、全てのスポーツ活動が停止を余儀なくされた時期がありました。その時、僕は日本全国いろんな地域のクラブに出向いたり連絡を取ったりして、話を聞いたんです。そうしたら、有名な強豪クラブも老舗クラブも、経営的には虫の息で、どんどん潰れていっていることがわかった。日本全体で、街クラブを存続させてスポーツ文化を根付かせようという共通ビジョンと、それに基づいたシステムがないんです。
ヨーロッパのサッカーだと、国ごとのサッカー協会がしっかりと地域の重要性を認識して、地域クラブがプロクラブに選手を輩出したらプロ側からお金が支払われる仕組みを作っている。そうしたシステムがないと、地域クラブは生き残れません」
そんな中で、渡辺さんが地域クラブに「持続可能性」をもたらすために考案したのが「サポタ」という独自の仕組みだ。
「街クラブは、所属する選手とその保護者、いわゆる『会員』による支援で経営が成り立っています。VIVAIO船橋でも、今まで合計で2万人以上の選手、保護者の方が通過していってくれました。でも、選手は16歳になったら卒業し、その後の関わりは消えてしまう。これでは少子化の中で、クラブはシュリンクしていくしかない。この繋がりを、なんとか保てないかと思ったんです。
そこでサポタという、OBやその保護者も登録できるシステムを作りました。サポタではスポーツ用品から食品、生活用品などをメーカー卸価格で購入でき、その売上の一部がクラブチームの支援に充てられるんです。
サポタ加入団体はスポーツだけでなく、音楽団体や障がい者団体など地域に根付いた多様なコミュニティ。それらに関わったことがある人であれば、個人会員として入会できます。普段の生活や仕事に役立つものを買うことで古巣を支援できる。コミュニティを持続するシステムです」
子どもの安全を守り、未来に繋げる。スポーツの楽しみを妨げる「暑さ」への挑戦
この仕組みは、「暑さ」への対策にも繋がっているという。
「サポタでは暑さ対策の画期的な商品『氷撃』を販売しています。夏の暑さは年々厳しさを増しており、炎天下でスポーツをすることは本当に危険。熱中症になってしまうと、ひどい場合は後遺症が残ってしまう可能性があります。指導者として、そんな危険に子どもを晒すことはできません。練習や試合の時間帯を早朝や夕方にしたり、時間を短くしたりと対策を模索してきましたが、それでも追いつかないほど暑さは増す一方でした。
そんな中、とある暑さ対策商品の展示会で出合った『氷撃』に衝撃を受けました。これを着て水に濡らすと、接触冷感と気化熱、そして化学反応ですぐさま寒いほど冷たくなる。炎天下での快適さが全く違うんです。
本当はバイク乗りの方のための商品で、メーカーのリベルタさんには『スポーツ向けには開発しない』と最初は言われました。でも諦めきれず、何度も何度も交渉し、銀行に資金を借り入れて、取引をお願いすることができたんです」
渡辺さんは借金という大きなリスクを背負いながら「氷撃」を発注。そしてそれを、同じように暑さ対策に苦しむクラブや学校に広めるため、全国を営業して回った。時には無料で配ることもあったという。
「とにかく体験してもらいたくて。実際に着用してみるとどんな選手も衝撃を受けて、使ってくれる。それで、とにかくできるだけ大量に発注したんです。
僕は生来の性格で『弱いものを助けたい』と思っています。スポーツの強豪校や有名チームは超大手のスポーツメーカーと深い関係を築いていて、用具やウェアの提供を受けている。本当に困っているのはお金のない中小チームなんです。だから僕はそういうチームに氷撃を無料で配ったんです」
その姿に感銘を受けたのが、メーカーのリベルタだった。経済的なダメージを顧みず「氷撃」の普及に励む渡辺さんに合同会社の設立を持ちかけたのだ。
「せっかく『氷撃』でつながることができたのに別々の会社だと、渡辺さんが困った時に助けられないでしょ、と言ってくれたんです。それで、一緒に『VIVAネットワーク株式会社』を立ち上げました。『渡辺さんのスポーツを助けたいという気持ちを感じたから、できるだけ思い通りにしてあげるよ』と言ってくれて……。小さな街クラブの経営者にメーカーさんがここまでのことをしてくれるなんて、“奇跡”としか言いようがありません」
「氷撃」という商品に、クラブ経営と同等と言えるほどの情熱を注ぐ渡辺さん。そこには利益を度外視したスポーツへの想いがあった。
「スポーツ界にとっての暑さ問題は、かなり深刻なものなんです。それは、スポーツ自体の存在価値に大きく関わるからです。
もともとスポーツが好きな子どもや、親がスポーツ好きな子どもは、自然と『プレーすること』に興味を持ちます。でも、少子化かつ選択肢が多い今の時代、スポーツに馴染みのない人たちに如何に興味を持ってもらうかが重要。知るだけ、見るだけではなく、プレーしてもらわないと競技は発展しないんです。ただ、メディアやSNSでは暑さや熱中症の危険性が叫ばれる。そんな状況では、少し興味を持ってもやってみようとは思えないですよね。
そのためにも、今預かっている選手たちの安全を全力で守る。楽しくサッカーをしている様を見てもらう。そのことが、新たな選手を呼び、この街のためになるんだ、と信じています」
僕は、VIVAIO船橋でたくさんの失敗をしてきました。立ち上げた当初は、自分が経験してきた厳しい練習をそのまま課して、多くの選手が高校で燃え尽きてしまいました。経営でも多額の借り入れをして施設などを用意していますが、周囲の助けなしでは続きませんでした。その経験を後進や他の地域のスポーツ界に伝えることが役割だと思うんです。
失敗から目を背けないこと。仲間や友達だけではなく、多様な意見を聞くこと。それが、結果として自分の信念を貫くことに役立つはずです。
取材・執筆:犀川及介
撮影:服部 芽生
1967年 東京都生まれ。2005年に15年間務めた教員を退職。1999年にサッカークラブ「VIVAIO船橋」を設立。2019年には全国各地域の少年少女のスポーツ活動をサポートする機能性スポーツアパレル・関連雑貨用品・加工食品などの販売を目的とする「VIVAネットワーク株式会社」を設立した。
VIVAIO船橋
Twitter @vivaio_watanabe
Facebook https://www.facebook.com/yasuo.watanabe.319
◇冷感機能衣類 氷撃シリーズを購入するなら VIVA NETWORK ONLINE STOREより◇
https://store.viva-network.net/
みんなが読んでいる記事
-
2023/02/14日本には多様性がない、なんてない。キリーロバ・ナージャ
クリエーティブ・ディレクター、コピーライター、絵本作家として活躍するキリーロバ・ナージャさん。幼少期より6カ国での生活を経験し、現在は日本で生活している。近年では子ども向けに多様な視点を教えてくれる絵本シリーズを執筆。活動の背景になるナージャさんの経験や思いを伺った。
-
2021/09/30【前編】女性が活躍する社会を実現するには? 女性活躍は多様性を生かす試金石
女性活躍推進には、企業の風土改革や男性・女性問わず、社員一人ひとりの仕事・育児・出産に対する意識改革が求められています。性別にとらわれず自分らしく輝けるよう、経営陣や現場のメンバー含め、一丸となって取り組んでいく必要があります。
-
2022/09/16白髪は染めなきゃ、なんてない。近藤 サト
ナレーター・フリーアナウンサーとして活躍する近藤サトさん。2018年、20代から続けてきた白髪染めをやめ、グレイヘアで地上波テレビに颯爽と登場した。今ではすっかり定着した近藤さんのグレイヘアだが、当時、見た目の急激な変化は社会的にインパクトが大きく、賛否両論を巻き起こした。ご自身もとらわれていた“白髪は染めるもの”という固定観念やフジテレビ時代に巷で言われた“女子アナ30歳定年説”など、年齢による呪縛からどのように自由になれたのか、伺った。この記事は「もっと自由に年齢をとらえよう」というテーマで、年齢にとらわれずに自分らしく挑戦されている3組の方々へのインタビュー企画です。他にも、YouTubeで人気の柴崎春通さん、Camper-hiroさんの年齢の捉え方や自分らしく生きるためのヒントになる記事も公開しています。
-
2024/12/26住まい探しサポート&就労支援 合同相談会(LIFULL×パーソル)を開催
2024年12月5日に開催した「住まい探しサポート&就労支援 合同相談会(LIFULL×パーソル)のイベントレポートです。
-
2022/02/10意見がないなら対話しちゃいけない、なんてない。永井 玲衣
日本全国の学校や企業、寺社など幅広い場所で哲学対話の活動を重ねてきた永井玲衣さん。哲学対話はその場ごとにテーマを設けて、複数人で話しながら思考を深めていく活動だ。数え切れないほどの回数を重ねながらも、未だ「対話は怖い」という永井さんだが、ではなぜ活動を続けるのだろうか。哲学対話、そして他者と話すことの怖さと面白さについて話を伺った。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。