『ハイパーハードボイルドグルメリポート』で触れる、不条理に埋もれない人間の優しさ
日常の中で何気なく思ってしまう「できない」「しなきゃ」を、映画・本・音楽などを通して見つめ直す。今回は『ハイパーハードボイルドグルメリポート』から見える世界各地の不条理と、過酷な状況下でも発揮される人間の優しさに触れていく。
上出遼平(2020年)『ハイパーハードボイルドグルメリポート』朝日新聞出版
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』概要
同タイトルのテレビ番組が話題になったので、知っている人も多いだろう。ただ、映像だけ見るのと、本を読んでから映像を見るのとでは、ずいぶん印象が変わる。
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の醍醐味(だいごみ)は、内戦中に“人食い”をしたリベリアの元少年・少女兵や、ケニアのゴミ山で暮らす青年など、“絶対に行けないヤバい場所”に住む人が、どう暮らして何を食べているかを知ることだ。映像ではセンセーショナルな部分が切り取られているが、本には難しい取材交渉の様子や撮れなかったもの、現場にいて感じたことが書かれている。著者の目を通して“ヤバい”場所の人々の生活や感情が浮き彫りになり、“ヤバい”場所の抱える課題が迫ってくるのだ。
リベリアの章では、親を目の前で殺された憎しみから兵士になった元少年・少女兵が登場する。彼らは戦いの恐怖を紛らわすためにドラッグを与えられ、その後も薬物依存が続いている。内戦終結後、ラフテーという名の元少女兵は生きるために娼婦になった。1人を相手して稼ぐのは200円相当だ。今もこんな不条理な現実があることを受け入れるのが難しく、圧倒される。
救いは、著者のおいしそうなグルメリポートだ。ラフテーの夕食は芋の葉と魚の燻製(くんせい)をスパイスで煮込んだおかずと特盛りライス、150円。じっと食事風景を見ている著者に、ラフテーは食事を分け与える。おいしくて思わず著者が2さじ目を食べたところで、食べ過ぎたことに気が付く。この著者の罪悪感を吹き飛ばすラフテーの反応が良い。「おいしいでしょう?」と言わんばかりにニヤッと笑い、自分もスプーンを口に運ぶのだ。
圧倒的な不条理を前にすると人は何もできない、なんてない。
この本を読んでから、一人の青年の話が心から離れない。
ケニアのゴミ山で暮らす18歳のジョセフだ。両親と姉弟5人がいるが、貧しくて一緒に暮らせず、長男のジョセフは食料を得るために4年前からゴミ山で暮らしている。ゴミ山を掘った洞窟にビニールシートの屋根をつけた家で暮らし、プラスチックと金属を集めて売ったお金で、その日の食料を買っている。劣悪な環境で肺が病に侵されているらしく、痩せた体で何度もせき込む描写がある。
その日のジョセフの夕食は、アスベストを使っておこした火で、豆と米を炊いた赤飯、90円。ジョセフもまた、著者に食事を分け与える。一口食べて返そうとする著者に、ジョセフは「もう一口食べて」と言うのだ。
その後、著者はジョセフに問いかける。
「ジョセフは今、幸せ?」
ジョセフはニコッと笑うと顎を上げてこちらを示して言った。
「あなたに会えたから幸せだよーー」
※引用:上出遼平(2020年)『ハイパーハードボイルドグルメリポート』朝日新聞出版, 509ページ
読み終えてからもジョセフのいる不条理な環境が理解できず、のみ込めない。今もケニアにはゴミ山があり、そこで暮らすしかない人がいると知っただけだ。人の可能性を絶ってしまうほどの貧困はあってはならない、そう問題意識を持つ以外に何ができるのか。
この本を読んで、小さいけれど変わったことがある。
読後のもやもやとした思いを、積極的に話してみることにした。話を聞いた友人が誰かに話したら、問題意識の共感が広がるかもしれない。
スーパーマーケットに整然と並んだ食品に疑問を持つようになった。規格外の作物はどこへいくのか。輸送中に割れた食品は本当に売り物にならないのか。1日に廃棄する量はどのくらいか……。意識して、賞味期限の短いものから手に取るようになった。
私が日本で暮らしながら、ケニアのゴミ山にいる青年を思いやる現実的なラインはこの程度だ。私は私なりに自分が暮らしている場所に責任を持ち、できることを探し、地道に一つずつ明日の行動を変えていくしかない。
私たちは、食料の大量廃棄を知っても罪悪感に苛(さいな)まれることはない。どこか、自分の痛みやつらさとして実感できないからだ。でも本当は、人というのは、貧困にあえぎ飢えている他者を思いやり、行動できるはずなのだ。貧困の真っただ中にいるラフテーやジョセフが、突然目の前に現れた著者に、優しく食事を分け与えたように。
文:石川 歩
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