元ギャルには老舗を継げない、なんてない。

榊 萌美

榊萌美さんは、アパレル企業への勤務も経験した「元ギャル経営者」だ。現在、和菓子業界に革命を起こす新進気鋭の存在として注目を集めている。

しかし、彼女自身は「私は、みんなが当たり前にできることができないタイプ。昔から失敗ばかりでした」と語る。その真意はどこにあるのだろうか。これまでの人生で経験した苦悩、そして今後について語ってもらった。

Instagramフォロワー1万人以上。強さを感じさせるメイクとヘアスタイルに、トレンドのコーディネートを身にまとったその女性は、一見華やかな生活を送る「成功者」に見える。しかし実際には、壮絶な人生経験に裏づけされた決意を持つ「一流経営者」だ。

榊さんは、老舗和菓子屋「五穀祭菓をかの」の6代目女将(おかみ)。若者の心をつかむ「新しい和菓子」を次々に生み出し、「元ギャル経営者」「インフルエンサーが老舗和菓子屋を経営」と話題になっている。地域の商店街にたたずむ和菓子屋とは縁遠そうに見える彼女が、家業を継ぐに至った経緯とは? 順風満帆に見える榊さんの、​​経営者としての知られざるストーリーをひもとく。

「自信のなさ」も「後悔」も次の夢を叶えるための力になる

「他の子と比べられるのが苦痛だった」。自信を持てなかった少女時代

和菓子屋「五穀祭菓をかの」を営む家に生まれた榊さん。彼女にとって、お店は自分と地域を結びつけてくれる存在だった。幼少期の生活について、榊さんは「町全体が家族のようでした」と語る。

「お店がある商店街はもちろん、町全体が『をかの』のことを知ってくれていました。それに、両親ともにお店の切り盛りで忙しかったので、いつも面倒を見てくれていたわけではなくて。寂しかったので、一人で近所のお店に遊びに行って、かまってもらっていましたね。周囲の大人たちも、『をかのさんのところの娘さんだ』と、みんな受け入れてくれていました」

地域で誰もが知る有名店の子供として、愛されながら育った榊さん。しかし、その頃から「自分は優秀ではない」と感じていたという。

「忘れ物が多いし、遅刻もよくするし、決められた期限通りに提出物を出すとか、みんなが当たり前にできることができないタイプでした。他の子と比べられて、『あの子はできるのになんであなたはできないの?』と言われるのが本当につらかったですね」

自分に自信が持てなかった学生時代。将来に対するビジョンも、「いまでは信じられないくらい保守的に考えていた」と話す。

「とにかく失敗したくなくて、『●歳までに何をする』という『人生設計表』を定期的に書いていました。なので、『自分にとっての幸せは何か?』というのはその時から考え尽くしていて。私が幸せを感じるのは、他人から『ありがとう』と言われた時だったんです。だから、将来の仕事は『人のためになること』をしようと決めていました」

同時に、いまの榊さんにも通じる「ギャルカルチャー」との出合いも経験した。

「最初は、仲が良い子たちがギャルになっていくのに合わせたのがきっかけでした。でも、ギャルっぽいメイクやファッションをやっていくうちに、自分に欠かせないものになっていきましたね。もともと自信がなくて、街を歩く時も下を向いて、小さくなって歩いていた私が、ギャルの格好なら胸を張って歩くことができる。強くなるためのよろいをまとうような気持ちで、ファッションやメイクを楽しむようになりました」

「軸」を見失わなかったことでたどり着いた、「家業を継ぐ」という決意

「人のためになることをする」という決意のもと、榊さんは教師を志して大学に進学。しかし、教育実習に行った先で環境や仕事になじめず、再び自信を失ってしまったという。教師になるという夢が途絶えた榊さんは、「残りの大学時代はひっそりと、息を潜めて生活していました」と話す。大学を休み、自室にこもり、バイトに行く時だけ、両親に見とがめられないようにこっそりと出かけていたという。

そんな時、「をかの」を切り盛りしていた母が体調を崩して入院。家族の間で「お店の経営をどうしていくか」という話が持ち上がった。この時初めて、榊さんの中に「家業を継ぐ」という選択肢が生まれた。

「最初はお店を継ぐつもりはありませんでした。経営のことなんてまったく知らなかったので、『私にできるはずがない。誰かがなんとかするだろう』と人ごとのように感じていました。でも、その直後に、小学校の時の同級生のお母さんと道でバッタリ会ったんです。そうしたら、『萌美ちゃん、お店を継いだの?』と聞かれて。『継いでないよ』と答えると、『小学校の卒業式で継ぐって宣言してたじゃない』と言われたんです。私、まったく覚えていなくて。でも、卒業式のビデオを見直したら、確かに私が『お店を継ぎたいです』とスピーチしていて。その姿が、とってもかっこよく見えたんです。夢と自信を失ってひっそりと生きているその時の私と比べて、輝いて見えて。『人のためになる』という軸を考えると、『をかの』は135年前から地元の人においしい和菓子を提供してきたお店。自分のやりたいことをブレずにできる環境が、こんなに近くにあったんだと感じて、継ぐ決心をしたんです」

売れるほどに周りを苦しめてしまう――。和菓子業界で思い知った未熟さ

幼少期から慣れ親しんだ環境に「仕事」として飛び込んだ榊さん。しかし、「をかの」の経営は榊さんが入社する前から厳しい状況が続いていたという。

「継ぐという話をした時から、両親から『経営は赤字。厳しいよ』という話は聞いていたんですが、私はもう『をかの』で働くことにワクワクしていたので『やるしかない!』と思っていて。でも、実際に働き始めてみたら、商品はどんどん作るけどそれを知ってもらう、買ってもらうためにはどうすればいいか、というノウハウがなくて、廃棄しなければならないものがとても多いという状況があるのがわかったんです。とくに、『葛ゼリー』という商品が、賞味期限が短いというのもあって売れ残りが多くて。そこで私が、『これを凍らせてアイスにしたら日持ちするんじゃない?』と提案して生まれたのが『葛きゃんでぃ』です。入社してから3カ月目くらいのことでした」

それまであまり売れることがなかったという「葛ゼリー」が、「葛きゃんでぃ」に生まれ変わると1日に1000本の売り上げを記録。テレビ番組の目に留まり、「老舗和菓子屋の新名物」として取り上げられたことで、さらに人気が爆発した。加えて、榊さんはそれまで「をかの」が取り組んでこなかったネット販売にも着手。全国から次々と注文が入る状況をつくり出し、お店は一気に忙しくなった。しかし、榊さんはその当時のことを「いまでは後悔しているんです」と吐露する。

「当時『をかの』に所属していた和菓子職人は私の父を含めて3人だけ。なのに、彼らだけではとても作り切れない数の注文を受けてしまって。商品を発送するのに何カ月もかかって、お客さまが怒ることはもちろん、職人たちが疲弊して、父以外の2人は辞めてしまいました。父もどんどん弱っていって、父の知人からは『おまえのアイデアのせいでお父さんや店のみんなが苦しめられている。経営の知識もないのに経営者ができるなんて思うな』と言われて。私が売れすぎることのリスクを考えられていなかったので、何も言い返せなくて」

人のためになることをやりたくて仕事をしているのに、それが周りを苦しめている――。そのことが榊さんの心に重くのしかかり、「本当に辞めたい」と思ってしまうまでに追い詰められていた。しかし、そんな榊さんを救ったのは、「榊さんに救われた人たち」だった。

「落ち込んでどん底にいた時に、声をかけてくれたのが和菓子業界の人たちでした。同業の和菓子屋さんが、『をかのさんが注目されたおかげで、相乗効果でうちの商品も売れました!』『うちも葛きゃんでぃのような商品を作っていいですか?』などと言ってくれて。そういう声を聞いて、『ああ、やっぱり私がしたことは良いことだったんだ』と思えたんです。それが『をかの』のみんなを苦しめてしまったのは、ひとえに私の経営者としての知識・経験不足。徹底的に勉強して、今度は絶対にみんなで笑い合えるようにしてやろう、という意欲が出ました」

その後は、自分自身の意識改革を実施。榊さんは、「私自身が周囲に対しておごっていたことに気づいた」と語る。

「自分の中で『お店のためにいろいろやって“あげて”いる』という意識があることに気づいたんです。家族や従業員から『継いでくれ』なんて言われていない私が勝手に帰ってきて、経営者面であれこれ口を出してきたら、それはみんな良い気がしないですよね。それに気づいてからは、やってくれることすべてに対して『ありがとう』と言うようにしていますし、働いてもらっていることに対して感謝することを絶対に忘れないようにしています」

本当にお客さまのためになることを。榊さんが目指す等身大の経営戦略

体当たりで挑戦し、失敗する姿もさらけ出すことで周囲の信頼を得てきた榊さん。最後に、経営者として、そして個人としての今後について聞いた。

「実は、『をかの』の経営規模を拡大していこうとは思っていません。むしろもっとコンパクトにして、細く長く続けていきたい。なぜなら、『をかの』は地元のお客さまと従業員のためのお店であるべきだと思うからです。家族や従業員は、桶川の地で続けてきたという事実をとても大切にしているし、地元のお客さまも、『商品が入れ替わっても、お店が続いてくれるのがうれしい』と言ってくれます。そういう様子を見ていると、従業員がストレスを感じない経営状況をつくった上で、地元のお客さまの声が届く範囲で続けていくのが正しい道だと感じています」

「そして、私自身は『和菓子業界の間口を広げたい』という思いがあり、個人のブランド『萌え木』を立ち上げました。正直、和菓子業界は閉鎖的。各店が少ない顧客を取り合っている状況です。そうではなく、業界全体が協力し合えば、ケーキを買う感覚で和菓子を買ってもらえるようになるはず。そういう未来をつくるために、同業者に向けた講演会なども行っています。和菓子業界に来たきっかけは家業でしたが、これからはもっと広い範囲で『人のためになること』をしたいと思っています」

榊さんは「をかの」に入社後、全国の有名経営者に自腹で会いに行ったり、経営を学んで事業計画書を書いたりと、ここでは書き切れないほどの試行錯誤を重ねてきた。そして彼女がたどり着いた境地が、どれだけ成果を出してもおごらず周囲に感謝し続ける姿勢だった。「華やかに成功体験を語る経営者」というイメージが、いかに一面的かを思い知らされる。

近年は榊さんのパーソナリティーに引かれ「をかの」に入社する人材も増えた。苦境の中で人材が不足していた和菓子職人も、榊さんのSNS経由で応募があり、採用に至ったという。つらい過去を語っていても、不思議とポジティブなパワーを感じさせる榊さんならば、「和菓子業界全体で協力する」という大きな夢も現実に変えられるのかもしれない。

多くの人が想像するであろう、「ブランド品を身にまとい、贅沢な暮らしをする」経営者像も幸せの一つの形だと思います。でも、やっぱり私にとっては周囲のみんなと喜びを分かち合うのが幸せ。もしお金が入ったら、お店の従業員をご飯に連れていくのが一番うれしい使い道です。

キラキラした姿を見せるより、失敗や情けない姿もすべてさらけ出したい。世の中にはだまそうとしてくる人もいますが、自分のすべてを見せることで信用してもらって、「この人になら何を相談しても大丈夫だ」と思われる存在になりたい。そうすることで、過去の私と同じような悩みを抱えている人の力になりたいです。

取材・執筆:生駒 奨
編集:白鳥 菜都
撮影:服部 芽生

 榊 萌美
Profile 榊 萌美

1995年生まれ。アパレルショップ勤務を経験後、実家でもある埼玉県桶川市の老舗和菓子屋「五穀祭菓をかの」の女将を襲名。溶けないアイス「葛きゃんでぃ」を手がけたことをきっかけに注目を集める。2022年には新和菓子ブランド「萌え木」をローンチ。講演会やポップアップストアなども精力的に実施している。

Twitter @moemi_nu
Instagram @moemi_nu
五穀祭菓をかの Web
萌え木 Web

2022/12/15 元ギャルには老舗を継げない、なんてない。

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