ワーケーションはデメリットばかり、なんてない。
累計320万ダウンロードを突破した国内シェアナンバーワン(※1)の登山地図GPSアプリ「YAMAP」、その運営に携わる株式会社ヤマップで「専属ガイド・自然教育担当」を務めるのが前田央輝(ひろあき)さんだ。
幼い頃には屋久島や、中学校ではアメリカなど、国内外を問わず雄大な自然に触れて育ち、現在は「自然の素晴らしさを子どもたちに伝えたい」と全国を駆け回っている。自然と付き合うプロは今の日本のアウトドアブームをどう見るのか、日常の中で自然の声を聴く視座などを伺った。
※1 2021年8月登山アプリ利用者数調査/App Ape調べ
日本は今、空前のアウトドアブームだ。新型コロナウイルス感染症の感染拡大が引き金となり、「三密」を避ける人々の足は自然へと向かった。また、コロナ禍のテレワーク導入で私たちの働き方は大きく変化し、都心を離れ豊かな自然に囲まれた田舎暮らしに憧れる人たちも増加した。今や、私たちと自然の付き合い方は新たなステージに入ったと言えるかもしれない。
今回は子どもたちに自然の素晴らしさを伝え、アウトドアガイドの養成にも尽力する前田さんに、今だからこそ持つべき自然と向き合う「作法」について、福岡県のヤマップオフィスで聞いた。
圧倒的な自然に向き合えば、
心の地図が広がり、
日常の見え方が変わってくる
アウトドアマンだった父親から受けた「英才教育」が原点
「ひげ隊長」の愛称で知られる前田さんは、コロナ禍に始めたYouTubeチャンネル「ひげチャンネル」や福岡のローカル番組で自然との向き合い方を発信している。そこからにじみ出ているのは、前田さんの「自然を畏れ、慈しむ」視座だ。その視座はどのようにして培われたのだろうか。鹿児島で生まれ育った子ども時代から聞いてみた。
「育ったのは鹿児島では都会のエリアだったんですが、親父がアウトドアマンで、物心ついた時から、週末に遊びに行くとなるとほぼアウトドアだったんです。小学校低学年の夏休みに連れて行ってもらった屋久島の原生林や海の美しさは今でも強烈に覚えていますね。親父の仕事が忙しくて夕方や夜しか時間がなくても、家族で近くの海岸に出かけ、よくバーベキューをしていました。
中学校1年生の時には親父いわく『アウトドア教育の総仕上げ』として1カ月間強制的にアメリカにホームステイさせられました。ヨセミテ(※2)でのキャンプを体験することで、日本とは違う自然のスケールの大きさを体感したのも今の自分にとって大きかったですね」
前田少年は父親からアウトドアの「英才教育」を受ける一方、中学・高校と野球に打ち込んだ。掛布雅之選手に憧れ、阪神タイガース入団を目指して関西の大学に進む。しかし、そこで知ったのは厳しい現実、自分は野球選手にはとてもなれそうにないことを悟った。
大学を卒業したのは折しもバブル崩壊直後。就職難の中、中途半端に企業に入るより自分のやりたいことをやろうと思った前田さんは3年間「旅人」になることを選択する。
「ふと『自分には何もないな』と思って、頭に浮かんだのが高校3年生の時にたまたま著書に出合って、その生き方に憧れていた野田知佑さん(※3)でした。それで、大学を卒業後、今度は野田さんのまねをしようと思って、鹿児島から北海道までヒッチハイクをしながら2年かけて、野田さんが下った日本の川を同じように、一人でカヌーを使って下ったんです。
カヌーイストである作家の野田知佑さんの生き方に憧れ、ヒッチハイカーをしていた前田さん
野田さんはアメリカ・アラスカのカヌーの聖地・ユーコン川も下っていて、同じ時期に見た星野道夫さん(※4)の写真にもアラスカが出てくるんです。今度は『アラスカに行かないと』と思って、一人でアラスカのユーコン川のうち700キロを下りました」
※2 アメリカ・カリフォルニア州中央部にある国立公園。公園面積は東京都の約1.4倍。
※3 日本のカヌーイスト、作家。愛犬「ガク」と日本や世界各地の川をカヌーで旅する一方、環境問題に関する著書も多数発表、日本のアウトドアカルチャーに多大な影響を与えた。2022年、84歳死去。
※4 日本の写真家、探検家、詩人。アラスカを中心にカリブーやグリズリーなどの野生動物、そこに生活する人々を撮影。1996年、43歳死去。
自分を方向づけたのは、圧倒的な自然に一人で向き合った経験
「ユーコンが僕にアウトドアの技術とか考え方を教えてくれました。日本であれば、どこでアウトドアしてもけがをすることはあっても、命を失うことはあまりないですよね。でも、僕が40日かけて700kmの川下りしている道のりにあった集落は1つだけ。人に会うのがそもそも1週間に1~2回だったんです。だから、何かあったら終わりなんです。そこに自分の身を置いて、一人で向き合った経験が今の自分の方向を決定づけました」
3年間の「旅人」生活を終えた前田さんは当時25歳になっていた。ユーコンでの経験は彼をどう突き動かしたのか。
「野田さんも、C.W.ニコルさん(※5)も植村直己さん(※6)もそうなんですが、アウトドアやった人って結局は子どものための“自然学校”を作る方向に行くんです。自分の世代が譲り受けた自然を次に引き継がないといけない。
今、ものすごいスピードで自然が失われていることに加え、僕らの頃は親や地域が子どもを自然で遊ばせていたのが、今は親が『自然は危ない』って遊ばせなくなっています。
僕自身、自然の中で遊んだ原体験が大きかったので、自然学校を作りたい、と25歳の時に思ったんです」
自然学校を作ることを決意した前田さんは、まずは「自然の声を伝える」ガイドのキャリアを屋久島でスタートする。
※5 イギリス・ウェールズ生まれの日本の作家、環境保護活動家、探検家。代表作『風を見た少年』はアニメ化された。
※6 日本の登山家、冒険家、1970年にエベレストに同行者と共に日本人で初めて登頂し、1984年、マッキンリー下山中に消息不明となり、43歳死去とされる。
「ガイド」よりも「インタープリター」でありたい
「インタープリター」とはもともと通訳者という意味だが、前田さんは単に観光客の「ガイド」役ではなく、自然の翻訳者である「インタープリター」と呼ばれることを好む。その違いについても尋ねてみた。
「『ガイド』って『アウトフィッター』と『インタープリター』に大きく分けられます。アウトフィッターはラフティングや雪山登山のような、どちらかというと激しいアクティビティーのガイドです。それに対して、インタープリターは森歩きのような、静かめのアクティビティーのガイドで、“自然を守ること、伝えること”をするんですよね。
僕はずっとアウトフィッターだったんですが、技術や経験が必要なので養成するのが難しいんです。でも、インタープリターだと割と誰でもできるので、どんどん増えてほしいなと思っています」
インタープリターとは、自然と人との仲介となって自然について解説を行う人物を指す。前田さんは、自然あふれるエリアをより魅力的に伝えるための人材を養成する取り組みも行っている。
自然と人々との間に立って、いわば自然の声を聴き、それを伝える「インタープリター」、どういう人がなれるのだろうか?
「1カ月ユーコンに単独で行けば、誰でも自然の声を聴けるようになります。自然の悲鳴や喜びが聴こえてきます(笑)。
誰もがそこまでできるわけではないと思いますが、インタープリターになるためには、とにかく“自然と向き合う”しかないですよね。本で読んだ知識を人に伝えたところで自分の言葉じゃないから刺さらない。
最近、アウトドアブームでソロキャンプってはやっていますよね。僕もずっとソロだったんですが、一人だと雲の動きや雷の音など、自然をとにかく観察するから、自然が発するメッセージが聴けるし、自分の内面に向き合えるじゃないですか。
日本だと『一人で山に行ったら危ない』って心配して止める人がいますが、アメリカのアウトドアでは、一人で死ぬ権利があるから、冒険に行く人を誰も止めないんです。今の日本のアウトドアブームを見ていると、本質が欠けている気もしますね」
自然に生かされていることをびっくりするくらい意識していない
アウトドアブームの日本にあって、自然との関わりを「トレンド」で終わらせず、少しでも本質に近づくためにはどうしたらよいのか、どんな視座を持つべきなのか。
「われわれは自然や地球に生かされています。人間がつくったビルや電車や携帯に生かされているんではなく、自然に生かされているという当たり前のことをみんな意識していないですよね、びっくりするくらい。
もともと日本人は自然と上手に付き合ってきたんです。『ここには神様が宿っているから近づいてはいけない』と考えて、森や水源を守るような知恵を持っていました。でもいつの間にか効率や利益が優先され、自然と人間とが切り離されてきた。それで“構えて”『アウトドアに行こう』って言いますけど、自然ってもっと日常の一部であるべきじゃないのかなって思いますね」
そうはいっても、誰もが自然に向き合うためのまとまった時間を取れるわけではない。忙しい日常の中でも自然の声を聴く方法はあるのだろうか。
「僕もなかなかアウトドアに行けないジレンマを感じる時ってあるんですが、ふとアラスカや屋久島のことを思い出すんです。時間も空間もつながっているじゃないですか。そうすると、『アラスカではこの時間にはオーロラが出ているのかな』『大雪原をホッキョクグマが駆けているのかな』って考えたり、屋久島の瀑布(ばくふ)の水しぶきを感じたりできるんですよ。自分がそこに身を置いたことがあるので、自分の地図に広がりがあるんです。
だから、一度本当の大自然、360度人工物が見えない世界に身を置いてほしいと思います。そうすると、目の前の狭い世界だけじゃなくて、日常の見え方や考え方も変わります」
“遊牧民”のように拠点を決めずに暮らすのが理想
自然ともっと触れ合いたいと思いながら、家族や仕事のことを考えると、地方移住に踏み切れない人も多いはずだ。そんな悩みをひげ隊長はどう見るのか?
「この夏からヤマップが『国内ならどこに住んでも働ける』制度になるため、今の福岡から拠点を鹿児島に戻す予定なんですが、“2拠点生活”を考えているんです。屋久島にいた時は毎日のようにサーフィンに行っていたので、今、海に飢えていて、海沿いの家を持ちたいって思っています。
将来の計画は、一人でも多くの子どもが自然の中で原体験を持てるような自然学校を全国に作ること、毎週末子どもたちをそこに呼んで、僕は毎週末“遊牧民”のように全国のキャンプ場を巡る、これって最高の人生ですよ。『ひげ隊長、どこに住んでいるんですか?』って聞かれたら、『地球』って答えます。
今って、リモートワークすれば、自分の趣味で住むところを選べるじゃないですか。『ワーケーション』もバンバン行ったほうがいいですよ。海を見ながらボーっとしたり、山を一人で歩いたりしていると、必ず良い発想も生まれますから」
「自然の声を聴くこと」をテーマにしたインタビュー。忙しい日常でもすぐできるような“お手軽な”解決策を期待していたが、前田さんの口から出てくるのはとにかく“自然の中に出かけて、自然と向き合うこと”だった。
考えてみれば当たり前の話だ。自然とコミュニケーションを取りたいと思うなら、自然を利用することばかり考えるのではなく、こちらにも最低限の「作法」が求められる。
安心と安全が担保されたキャンプ場で仲間と盛り上がるだけがアウトドアじゃない。今度の週末は気持ちを切り替えて、じっくりと山や森を散策してみるのはどうだろう。
取材・執筆:河合良成
撮影:勝村祐紀
1972年、鹿児島県生まれ。登山アプリを手掛ける「YAMAP」専属ガイド。お酒と自然と子どもをこよなく愛するフーテンのアウトドアガイド。23歳の時にアメリカ・アラスカのユーコン川の流れる原野を1カ月かけて旅し、「この自然の素晴らしさを子どもたちにも伝えたい」と自然学校のひげ校長を志すことに。全国でインタープリター養成講座を開催し、「自然の翻訳者」となるガイドを育てることにも力を注ぐ。
Instagram @driftwood1999
YouTube ヤマップ ひげチャンネル
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