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STORIES 2019/03/22

都会育ちは地方の暮らしになじめない、なんてない。

山岸 充

東京生まれ東京育ちの都会っ子ながら、福井県・鯖江で地方創生という使命を掲げ、活動する人がいる。地域事業主 わどう代表の山岸充さん。現在、鯖江を移住拠点にしながら東京でも仕事をする、2拠点での働き方を実践している。

東京でめがね屋を経営していた祖父の影響で、幼少期から「めがね」が身近な存在だった。京都大学在学時代に産官学を巻き込み学生が地域活性化を目指してつくるお祭り「京都学生祭典」の幹部としてまちづくりに携わったのをきっかけに、「地方創生」に興味を持つ。「めがね」×「地方創生」。この2つがリンクし、彼は今、福井・鯖江という地に立っている。

すべて人ごとではなく「自分ごと」。亡き父が教えてくれた

東京・大田区生まれの山岸さんは、都内でめがね屋を経営する祖父の姿を見て育つ。スーツを着て電車に揺られて働くいわゆる王道のサラリーマンとは違う生き方を目の当たりにし、めがねはもちろん、それ以上にその生き方に興味を抱いていく。父親は、山岸さんが小学校2年生のときに病気で他界した。

「父親は自分が死ぬとわかっていました。僕が長男なんですが、父親が僕以外を部屋から出して、僕とだけ話をする場面があったんですね。そこで『あとは全部、家族も含めてよろしく頼む』、そう言われたんです。そこから強い責任感が生まれました。世の中というデカい枠組みじゃなくても、目の前に困っている人がいたら、誰かがどうにかしてくれるんじゃなくて、自分がどうにかしなきゃいけない」

目の前のことを全力でやると、人から信頼される。人から信頼されると、責任感が強くなる。親の死をもって、自分の生き方の基盤ができた。

人を動かすのは論理ではなく感情。コミュニケーションとは魂と魂のぶつかり合い

京都大学時代にまちづくりの活動も経験し、「社会を良くするために」と外務省を志望。最終面接32人まで残るも、最後の最後で落とされた。「面接官には『僕らは裸の山岸くんが見たい』と言われましたが、そのときは意味がわかりませんでした」。その後も就活を重ねると、ある社長からこんなことを言われたという。

「『外務省を落ちたって言ったけど、その理由はよくわかる。君は自分をつくってるだけ。相手の言ってることをかわしながらやろうとするんじゃなくて、ちゃんと相手にぶつかっていかないと。良い兵隊にはなれるけど、兵隊以上にはなれないよ』と。図星すぎて、超ショックでしたね。それまで、学校ではいつもクラスのまとめ役。父親の死をもって強くなった責任感の裏返しから、人に隙を見せてはいけないと思ってたんです。人に心配をかけちゃいけない、弱音を吐いちゃいけない、負けちゃいけない、完璧じゃなきゃいけない。だけど、取り繕う自分じゃ通じない。人から見抜かれてるんだなと思いました」

そこから「相手に魂をぶつけ、コミュニケーションする」という意識に変わっていった。初めから、すぐにできたわけじゃない。徐々に、徐々に。

こうして大学卒業後は、株式会社ネクスト(現在の株式会社LIFULL)に入社。主力事業「HOME’S」(現LIFULL HOME’S)のコンサルティング営業として働き始めた。

「営業はまさに人と人とのぶつかり合い、コミュニケーションです。“コイツ、良いじゃん”と思ってもらえたら、良い人間関係がつくれる。どんなに論理が完璧でも“なんか信頼おけないな”と思われたら、ダメ。社会人1年目は、いかに相手と裸の自分でコミュニケーションを取るかを意識しました。運命とも呼べる、良い人生経験でしたね」

こうして、会社史上最速でリーダーに就任し、トップセールス賞受賞。行動に伴う、結果も残した。

人と違うことや飛び抜けたことをする。その感覚が地方の人には少ない

福井県・鯖江といえば、めがねの町として有名だ。メイドインジャパンのめがねの95%が、鯖江を中心とした周辺地域で作られている。地域の産業とめがねの密接な結びつきについて興味があったことから、会社の有給を取り視察に訪れた。

「地方を元気にする事業がしたく、地方創生事業に注力し始めていたネクストに入社しました。どうしたらいいか日々考えながら働く中で、実際に足を運んでみたんです。鯖江市役所の方やめがね会社の社長さんなどいろんな方とお話ししてみると『地方のこれからについて、どうすればいいかわからない』という声が圧倒的に多い。そこで、ピンときました。鯖江に行っちゃおう、と。戦略もロジックも、全くないです」

現場に行って、初めてわかること、感じることがある。“人ごとではなく「自分ごと」”と捉え、初めて鯖江に降り立った日から半年後には移住していた。

会社は当初から「3年で辞める」と決めていた。「会社でやれることをやりきったら、オリジナルな挑戦をしたい」という思いからだ。想定より早い1年10カ月での退社となったが、周囲は応援してくれた。「めがね屋を継いでほしい」という今は亡き祖父の願いもあり後ろ髪も引かれたが、山岸さんは山岸さんのやり方で周囲の人に対し貢献を続けると決めている。

「鯖江でいろんな挑戦をして、しっかり力をつけて、めがね屋はいざ困ったらいつでも力になれる状況にいようと思っています。最終的にどう関わるかは決めていないし、今はまだわかりません」

自分ならできるかもしれないと勇んで鯖江に移住したものの、最初の1年間はうまくいかないことの方が多く、悶々とする日々が続く。それでも、コツコツと動き、魂でぶつかった。

「人間関係ができていないので、誰を頼っていいかもわからない。思うように人の気持ちを動かすこともできない。そんな僕は地域の人の目には若造かつ“外から来たよくわからない人間”に映ったと思います。でも、とにかくいろんなところに顔を出して、いろんな人と話をしました。相手のために、地域のためにはどうするべきか、却下されようが言い続け、かつ行動し続ける。そうすると、ちゃんと伝わるんですよね。

福井県民の特徴でしょうか。遠慮なくガツガツ提案して動いていく人って、東京と比べてそんなにいないんです。良い意味で、“福井人”ではない、東京生まれ東京育ちの僕だからこそできることがある。しがらみがないこと、これが強みです」

東京と地方のどちらのアイデンティティも持つ。これこそが地方創生のキーワード

福井に住居を構えながらも、月1回ペースで東京にも足を運ぶ。

「僕は福井にガッツリ住んでいるという感覚はないんです。住んではいるけど、外から見ている目線を持っている。良い意味で、よそ者であり続ければいいかなというスタンスです。確かにその地に根付くのは大事ですが、地域の人に完全に染まりきって、同じ考え方、同じ土俵に立ってしまっては、変化が起こせない感覚がある。ローカルの泥くさい視点と都市部のバリバリ合理的な視点、どちらが良いという話ではなくて、いかに必要なバランスを取れるかが大事だと思います」都会と鯖江の架け橋となる人物として、山岸さんの挑戦は続く。

「めがねをきっかけに地方に移住しましたが、それ以外でも今後やりたいことや考えてることはたくさんあります。一貫して言えるのは“地方で働くことをワクワクに”というビジョンを持って進んで行くということ。地方でもワクワクしながら働けるんだぞってことを証明したい」

山岸さんのワクワクは、地方の人たちに伝染している。それは“ちゃんと伝える”ことをあきらめないから。取り繕っていた過去の自分では、決して成しえなかったことだ。

人間の物事の判断って、最終的に感情だと思うんです。論理的なロジックをつくってどちらが正しいかいろいろ積み上げても、それはあくまで判断材料にすぎない。だから僕は、心の声をちゃんと聴くようにしています。自分をよく見せようという思いは捨てる。見栄とか欲とかいろんなものが覆いかぶさって、判断が難しくなってるだけ。ピンとくる方を選べば、間違いない。そして、それに対しちょっとでもいいから動いてみる。そうすれば、また次のピンとくる行動が見えてくると思います。
Profile 山岸 充

1990年生まれ。東京都出身。地域事業主 わどう代表。
2016年より「まちづくり」と「めがね」というキーワードに引かれ、福井県鯖江市に移住。2017年6月より「地域事業主 わどう」を立ち上げ独立する。地域事業支援、貿易&海外対応代行(めがね)、Webサイト作成など幅広い活動を行う。前職のLIFULLグループのサテライトオフィスを2017年10月より鯖江に誘致し、鯖江オフィスを統括。 ITを活用した、地方の子育てママや若者向けの就職拠点として運営している。古民家の空き家を利用した民泊事業も展開。

STORIES 2019/03/22 都会育ちは地方の暮らしになじめない、なんてない。