朝の一杯が教えてくれる、人生の価値 -第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン井崎英典さんインタビュー-

井崎英典(いざきひでのり)

毎日をせわしなく過ごしていると、五感に目を向ける余裕がなくなっていきませんか。朝のコーヒーの香りや旬の食材の美味しさ、植物に触れたときの心地よさは、少し意識を向けるだけで感じられるものであり、日々を豊かにしてくれる合図です。今回は、分譲マンションブランド「THE LIONS」が掲げるステートメント「人生には価値がある」を紐解くために、3人のプロフェッショナルに話を聞きました。それぞれの言葉からは、暮らしをより深く味わうためのヒントが見えてきます。

朝の一杯が教えてくれる、人生の価値|LIFULL STORIES

2014年、アジア人として初めてワールド・バリスタ・チャンピオンに戴冠した井崎英典さん。世界チャンピオンとして年間200日を海外で過ごし、生産地や消費国を訪ね歩きながら、コーヒーの現在地を見つめてきました。現在は、バリスタという職業の地位向上や、より良いコーヒー文化の醸成のために、国内外でビジネスコンサルティングやブランドプロデュースを行っています。

今回は、THE LIONSが掲げる新たなブランドステートメント「人生には価値がある」を紐解くために、井崎さんの「朝時間」と「五感のなかの嗅覚」に焦点を当てました。華やかな経歴の裏にあったのは、仕事と暮らしの境界を引かず、毎日を心から楽しむ姿勢です。井崎さんの暮らし方の根底には、静かに自分と向き合う時間があり、その時間の積み重ねが、揺るがない自分軸になっているようです。

“普通”を丁寧に味わうことが、人生を豊かにする

――井崎さんは、朝時間をどんなふうに過ごしていますか?

 朝7時に4歳の息子に起こされるので、出張が入っていない日は、起きてすぐに妻と自分用にコーヒーを淹れます。普段の暮らしのなかで飲むコーヒー豆は、そんなにこだわりがないです。いつも現場でコーヒーを淹れているので、家にいるときまで細かくこだわると疲れてしまうんです。目の前にある豆をその日の気分で淹れて、飲んでいます。

――井崎さんの「理想の朝の過ごし方」を教えてください。

 家族みんなで起きて、コーヒーを淹れて、朝ごはんを一緒に食べる。とても普通の朝ですが、そんな普通の時間が一番幸せだと思います。クレーシャ(イタリア マルケ州のパン)にモルタデッラとストラッキーノチーズ、ルッコラを挟んだサンドイッチなど、シンプルだけど最高に美味しい朝食があると良いですね。ベランダに出て、コーヒーと一緒に家族で食べるのが理想の朝です。普段の暮らしの中で感じる幸せって、意外と普通のことです。だから、普段の朝ごはんの食材一つ一つを丁寧に選ぶことを大切にしています。

 ――食卓を囲むことは、井崎さんにとってどんな意味がありますか?

 人間にとって「食べる」という行為は、根源的で大切なものだと思うんです。人類は火を使って調理するようになって効率よく栄養を摂れるようになり、それが脳の発達や文明の進化につながりました。そして、食卓を囲んで言葉を交わすことで、食事はコミュニケーションの在処にもなっていったわけです。僕は海外にいることも多いのですが、ヨーロッパや中南米では家族や友人と食卓を囲む文化が根づいていて、食べることを大切にする姿勢があります。もともと日本にも同じ風景があったはずなのに、今はみんなで食べることが少し軽視されているように感じますね。

――井崎さんの「朝時間を豊かにするルーティーン」を教えてください。

 昔から続けていることの一つに、月に一度、朝に神社へ参拝する習慣があります。特別に信心深いわけではないのですが、感謝の気持ちを忘れないために続けています。神道では「八百万の神」と言われるように、森羅万象に神が宿ると考えます。僕なりに解釈すると、身の周りのものや人に対して感謝の気持ちを持ち続けることだと思うのです。ともすると人は、「今の自分があるのは自分の力だ」と思ってしまいがちです。でも僕は、家族と毎日美味しいものを食べる生活を送れることが、本当にラッキーだと感じているんですね。だから、「今月も幸せに過ごせました。ありがとうございます」という気持ちを込めて、参拝を朝のルーティーンにしています。

<Morning Playlist>井崎さんが朝に聴きたい一曲は?

聴くジャンルは、ヒップホップからクラシック、ジャズ、歌謡曲まで幅広いです。朝に聴きたい一曲を挙げるならアース・ウィンド・アンド・ファイアーの『September(セプテンバー)』ですね。ワールド・バリスタ・チャンピオンシップで優勝した時にも使った思い入れのある曲で、聴くと気分が上がります。70年代のアメリカや80年代の日本の曲は、声のエネルギーを含めて希望に溢れていますよね。朝はそういう音楽に触れて、一日を元気よく始めたいです。

香りとともに思い出す、人生の転機

――これまで井崎さんが出合ってきたコーヒーの中で、印象に残っている香りは?

 二つあります。一つ目は、僕が初めて本気でコーヒーをやってみようと思ったときに、父が出してくれたエチオピアのイルガチェフェで生産されたコーヒーです。飲んだ瞬間にレモンティーのような香りが広がって、衝撃を受けました。コーヒーといえば苦くて焦げたような香りの飲み物だと思っていたのに、父のコーヒーは香水のように華やかで「これは飲む香水だ」と思いましたね。

 二つ目は、エクアドルのフィンカス デル プトゥシオ農園で作られたティピカ・メホラードというコーヒーです。標高2000メートルを超える農園でペペ・ヒホンという生産者が作っています。ジャスミンのような香りで、甘くてきれいな酸味を持つコーヒーです。生産者のぺぺは外交官の息子という富裕層に生まれながら、登山家として自然に真摯に向き合ってきた人です。その誠実さがコーヒーに滲み出ていて、味も香りも素晴らしいコーヒーです。

――自分が好きだと思えるコーヒーには、どうやったら出合えますか?

 まずは、「苦くて濃い味が好きか」「酸味があってさっぱり味が好きか」を考えてみるといいと思います。苦味が好きなら深煎り、酸味が好きなら浅煎り、どちらでもないなら中煎りの豆を選んでみる。ステーキと同じで、どんなに良い肉でも、好みの焼き加減でなければ美味しさを感じません。品質と嗜好を分けて考えないと、自分の好みはずっと見つからないですよ。いまは情報が溢れていてトレンドに流されがちなので、「自分の好き」を知ることは大切だと思います。

 ――最近はスーパーでもコーヒー豆が買えます。豆の選択肢が増えている中で、どうすれば美味しいものを見極める力が養えるでしょうか。

 まずは、自分に合うなと感じる場所で買ってみてください。地元のコーヒーショップでもいいし、スーパーが落ち着くならそれでもいい。自分のバイブスに合う場所を選ぶことが大切です。僕は「どうせ同じカロリーを摂るなら良いものを摂取したい」と思うので、こだわりを持って選びます。でも、コーヒーのような嗜好品は要らなくて、完全栄養食を選ぶほうが安心する人もいます。それはそれで、自分の嗜好を理解している証拠なので素敵ですね。結局、自分の「好き」がはっきりしていれば明確な行動指針になり、自ら起こした行動の積み重ねが審美眼を磨いていくのだと思います。

居心地の良さは、人間らしさとこだわりから生まれる

 ――井崎さんは、予約制のコーヒーバー「珈空暈(コクーン)」を運営しています。居心地のよい空間を作るうえで、大切にしていることは何でしょうか。

 珈空暈の空間はすごくこだわっていて、そこでの体験を通じて「日本という国はかっこいい」と感じてもらいたいんです。日本のかっこよさを海外の方にもわかりやすく編集して、提供するまでが僕の役割だと思っているんですね。日本の美意識を端的に言うなら、禅的な思想です。無駄を削ぎ落としたミニマリスティックな考え方や、侘び寂びを美しさと捉える感覚は日本独特のものです。珈空暈は、その美意識を誰にでもわかりやすく体感してもらえるように、茶室を、コーヒーを飲む場として再構築した空間です。

珈空暈の内部。まるで茶室のような小空間に、黒色の鉄と朱色の漆が映える。

 例えば、アリタポーセリンラボと共同で作った「The M」というオリジナルカップは、ゴールドとプラチナの2種類があって、表面の模様が一つ一つ違います。一般的に、カップのような製造品は均一であることが良しとされますが、「The M」はあえて不均一な美しさを追求しました。窯変釉薬を使って、焼成の過程で生まれる偶然の変化をそのまま生かし、一期一会の出会いを表現しています。一客ごとに違う表情を持つ器を通して、日本のかっこよさが伝わればいいなと思っています。

左の二脚がオリジナルカップの「The M」。蓋を開けた瞬間にコーヒーの香りが立ち上がる。右側のカラフルなカップは井崎さんが開発した「キスカップ」

――井崎さん自身にとって、「居心地のよさ」を感じられる場所はどこですか?

 イタリアのフィレンツェにある「Ditta Artigianale」というバールの立ち飲みカウンターですね。そこでエスプレッソを飲む時間が最高です。美味しい一杯が小気味よいタイミングで出てきて、スタッフと「元気? これから何するの?」なんて何気ない会話をする。忙しい店でざわざわしているし、特別に美しい空間ではありませんが、なんというか……「人間らしく生きているな!」と思えるんです。気取らない格好でふらっと立ち寄って、自然な会話が生まれる。こんな当たり前のことが暮らしの中では大切だし、豊かな気分にしてくれるのだと思います。イタリアはそういったコミュニケーションをずっと大切にしてきた国なので、心から居心地が良いと感じられるのでしょうね。

写真上:Ditta Artigianaleにて撮影
写真下:イタリアのファミリーと食卓を囲むひととき

何も考えない時間が、心を満たす

――家でコーヒーを淹れているとき、井崎さんはどんなことを考えていますか?

 何も考えないことを大切にしています。家でコーヒーを淹れることは、僕にとって“無”になるための儀式なんです。茶道が良い例ですが、動作には型があって、突き詰めていくと体が自然に動くようになります。何も考えなくても朝起きたら顔を洗うように、コーヒーを淹れる時間はただ型に身を委ねる。その繰り返しがマッスルメモリーになって、セルフメディテーションへつながっていきます。息をするように自然に体が動くくらいの無意識のルーティンが、僕にとっては家でコーヒーを淹れることです。

――たしかに、普段の暮らしの中で何も考えない時間は意外とありませんね。

 そうですね。今の社会は、少しでも時間があるとスマートフォンを見てしまう。実際、僕もコーヒーを蒸らしている時間でメール返信をしてしまうことがあります。でも、コーヒーを淹れながら「今日も息子が可笑しなことを言ってるな」と目の前の日常の風景に目を向けてみると、「これが幸せかもな」と思う。「豊かな暮らし」は人によって捉え方が違いますが、僕にとってはこういう何気ない時間こそ、心が満たされている状態なんです。

――THE LIONSのステートメント「人生には価値がある」にも通じますね。心をどう満たして暮らすかによって、人生の価値の感じ方は変わりそうです。

 自分の人生に価値があるかどうかって、自分がどう考えるかだと思います。些細なことでも「なんか良いな」と感じられる時間を繰り返すことで心は豊かになっていく。そういう暮らしの積み重ねが、いずれ物質的な豊かさにつながっていくと思っています。

第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン井崎英典さん

僕自身の課題でもありますが、今の社会は思考する時間が圧倒的に減っています。本来なら、スマートフォンを見ている時間で1日を振り返ったり、「もしこうなったら自分はどう考えるか、どう行動するか」と自分と対話することができるはずです。オスカー・ワイルドの有名な言葉に「Be yourself. Everyone else is already taken.(自分らしくあれ。他の誰かにはなれない)」というのがあります。自分らしくあるとは、自分ときちんと対話をするということで、その思考と対話の先に「自分の人生には価値がある」と言える暮らしがつながっているのだと思います。

執筆:石川歩
撮影:阿部拓郎

第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン井崎英典さん
Profile 井崎英典(いざきひでのり)

株式会社BrewPeace代表取締役、第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン、Specialty Coffee Association Board of Directors
高校中退後、父が経営するコーヒー屋「ハニー珈琲」を手伝いながらバリスタに。2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンに輝く。ヨーロッパやアジアを中心に、大規模F&Bブランドやコーヒーチェーンに特化した商品開発からマーケティングまで一気通貫したコンサルティングを提供。幅広い人脈と人望から世界中のブランドのアジア進出の橋渡し役を務める。また、コーヒー業界のアイコンとしてラグジュアリーブランドからライフスタイルブランドまで幅広くコラボレーションを展開。NHK「逆転人生」他、テレビ・雑誌・Webなどメディア出演多数。YouTube「世界一美味しいコーヒーの淹れ方」は累計再生回数200万回を突破。著書にダイヤモンド社『世界一美味しいコーヒーの淹れ方』など、累計20万部突破するベストセラー作家としても活躍。2023年4月たった4席しかない完全予約制のコーヒーバー「珈空暈」をオープン。日本各地から厳選した原材料とコーヒーを合わせる全く新しい「Coffee Omakase」を提供。2024年12月にSpecialty Coffee AssociationのBoard of Directorsに就任。

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