なぜ、「仕事はつらいもの」と思い込んでしまうのか|幸福学者・前野隆司
「幸せに働く人」は生産性が3割増、売り上げが3割増、創造性が3倍高い――。
仕事や上司に嫌気がさしている人からすると夢物語にも思えるような研究結果が、国内外で明らかになっています。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授は、幸福度の高い人々の共通点を導き出し、幸せな職場づくりを研究する「幸福学」の第一人者。
前野さんによると、世界第3位の経済大国でありながら「世界幸福度ランキング」や「女性の働きやすさランキング」などの国際調査で散々な結果を出している日本には、“不幸体質”と呼ぶべき遺伝子や文化が染みついているといいます。
人が幸せを感じるメカニズムや幸せな会社の特徴、さらに一歩踏み出すために必要なことについて伺いました。
日本人は生まれながらに不安を感じやすい民族!?
――日本人は「仕事はつらくて当たり前」と考える人が多いように感じます。なぜなのでしょうか。
前野隆司さん(以下、前野):遺伝子的、文化的な背景が大きく関係しています。中でも春秋時代末期に孔子が説いた儒教は、東アジアにおける道徳観・倫理観の基本になっている考え方です。苦しくても真面目に頑張ればその先に光が見えるはず、人様に迷惑をかけてはならない、上下関係を大切にする――。これらは全て、儒教的な思想によるものです。戦後の高度経済成長を支えたのは、こうした日本人の辛抱強さや粘り強さと言えるでしょう。我々は宗教を信じていないようで、知らず知らずのうちに儒教の影響を受けて社会生活を送っているのです。
――加えて日本人は、心配性の遺伝子を持っているそうですね。
前野:そうです。人が幸せを感じたり、不安を感じたりすることには「セロトニン」と呼ばれる神経伝達物質の分泌量が関係しており、分泌量を左右する遺伝子の一つに「セロトニントランスポーター遺伝子」があります。セロトニントランスポーター遺伝子のタイプは、セロトニンの分泌量が少ないSS型、分泌量の多いLL型、その中間のSL型の3つ。日本人はSS型の遺伝子を持つ人が約7割を占めるため、セロトニンの分泌量が少なく、不安を感じやすい民族と言えるでしょう。ちなみに韓国や中国、台湾人も同様にSS型が多く、陽気なイメージがあるアメリカ人でSS型の遺伝子を持つ人はわずか2割にとどまっています。
多くのアンケートを見ていても、欧米ではおよそ7割の人が「やりがいのある仕事に就いている」と答えているのに対し、日本人は業種や職種にかかわらず、やりがいを持って働いている人は2~3割です。しかし現代では、心理学や経営学でウェルビーイングの研究が進み、「幸せに働くこと」の重要性が世界でも広まっています。先の見えない時代だからこそ、「幸せになる指針」がより必要になると言えるでしょう。
――ウェルビーイングは身体的、精神的、社会的に満たされた状態を指しますが、これは仕事にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
前野:幸せな人は、不幸せな人よりも生産性が3割増、売り上げが3割増、創造性に至っては3倍高いという研究結果が出ています。幸せな人は仕事のパフォーマンスが良く、出世も早いなど、良いことがたくさん起きることがエビデンスとして分かってきているのです。2019年以降の働き方改革をはじめ、経済産業省が打ち出している「健康経営」や「人的資本経営」もウェルビーイングに関連しています。生産性や企業価値向上のためには、社員がイキイキと働ける労働環境を目指すべきと言っているわけです。
しかし、一口に「幸せ」と言っても何のことか分からない人も多いでしょう。そんな人は「幸せの4つの因子」を基準に考えることをおすすめします。
「幸せな心」は磨くもの。幸福度を高める4つの因子
――「幸せの4つの因子」とは何ですか?
前野:因子分析という統計学的手法によって明らかにした、幸福感と深い相関関係がある要素です。人が幸せを感じる時は「やってみよう」因子、「ありがとう」因子、「なんとかなる」因子、「ありのままに」因子が満たされていることが分かっています。順番に説明しましょう。
「やってみよう」因子は、 “自己実現と成長”の因子です。やりがいを持ち、夢や目標に向かって頑張っている時に幸せを感じやすいことは、誰しも簡単にイメージできるのではないでしょうか。
「ありがとう」因子は、 “つながりと感謝”の因子です。豊かな人間関係に恵まれ、利他的、つまり自分のためではなく他人のために行動することで幸福度は上がります。
「なんとかなる」因子は、“前向きと楽観”の因子です。適度に楽観的で、チャレンジ精神がある人は幸せになりやすいです。
最後は「ありのままに」因子。“独立と自分らしさ”の因子とも呼び、他人と自分を比べ過ぎないことが大事です。逆に、他人と自分を比較して落ち込んだり、ねたんだりする人は不幸せになりやすいです。
やりがいとつながりを持ち、チャレンジして、個性を磨く。幸せになりたいけどどうすればいいか分からない人は、まずこの4つを満たすことを目指してほしいと思います。
――4つのうち、どれか1つでも欠けていると幸せにはなれないのでしょうか?
前野:最終的には、全ての因子が高い状態が幸せにつながります。とはいえ人には個性があるので、最初はデコボコの状態で当たり前。日本人は真面目なので、長所を伸ばすより短所をつぶす教育に傾倒しがちです。そうではなくて、「私はありがとう因子が高いから、ここを伸ばしていけばそのうち他の因子も伸びるだろう」と捉えた方がいいでしょう。
心とは、磨くもの。人生100年として、最終的に4つの因子を高い状態で満たすことを目標に、今は自分の「伸びしろ」を楽しんでほしいと思います。
インセンティブは幸福にはつながらない
――社員の幸せを軸とする「幸福経営」が注目を集めていますが、実例を教えてください。
前野:幸せの因子を満たしている会社は、派閥や足の引っ張り合いがなく、大家族のように自己開示し、力を合わせていることが特徴です。ウェルビーイングの浸透という面においては、若い社員が中心となったボトムアップ型よりも、経営陣が強い意思を持ったトップダウン型の方がうまくいっている印象がありますね。
社員のモチベーションを維持・増幅するためのインセンティブ制度は、実は「幸福経営」を志す経営者は好まないことが多いんです。なぜなら、成果を出せていない社員はやりがいを感じられず、会社全体としては幸せになりにくいから。
ある会社では、歩合制を廃止してグループごとの達成目標をつくりました。それ以前は、成績の良い営業担当は来期の目標が高く設定されるのを防ぐため、今期の売り上げをセーブする人が多かったそうです。しかし、「グループ目標を達成したら全社員を表彰する」としたところ、売れっ子営業が成績の良くない営業にアドバイスをするようになり、職場の雰囲気が良好に。結果的に、リーマンショック後に売り上げが増加し、全社員でボーナスを勝ち得ました。
このように、幸せな会社の社員は「最初はお金のために頑張っていたけど、仲間と家族のように仲良くなって同じ目標に向かっているうちに、お金のことを忘れていた」となることは珍しくありません。
――今も昔も、就職活動中の学生に人気なのは大手企業です。給料が良く福利厚生が充実している会社に入れば、幸せになれるのでしょうか?
前野:人気と幸せは必ずしも比例するものではありません。私は社員の幸せと働きがい、社会への貢献を大切にする企業を表彰する「ホワイト企業大賞」の委員を務めていますが、幸せな会社は意外と中小企業に多いです。ちなみに「仕事が楽で休みが多い」ことがホワイト企業の基準ではないので、誤解しないように注意してください。
小さな成功体験を積み重ねて幸せに近づく
――現状に不満があっても、いきなり転職や起業をするのはハードルが高いと感じる人も多いと思います。個人ですぐにできることはありますか?
前野:1日1時間でも、好きなことをする時間をつくるといいと思います。また、会社と家との往復ばかりではなく、サードプレイス(第三の居場所)をつくることが大事です。副業が無理なら、職業上のスキルや専門知識を生かして取り組むボランティア(プロボノ)はいかがでしょうか。「忙しいのにボランティアに行っている暇なんてない」と思うかもしれませんが、利他的な人は幸せになれます。それに、ボランティアは志の高い人が集まるので、良い仲間に恵まれるはずです。
現代ではYouTubeやTikTokなど刺激的な道楽があふれていますが、これらは受動的になりがちで、次の行動や自己成長につなげにくい側面もあります。自分が投稿する側に回ってみるか、もしくは逆にアナログな趣味にヒントがあるかもしれません。写真を撮る、文章を書く、紅茶を集めるなど、何でもいいので能動的に行動することが幸せへの第一歩です。
私の研究室に、ぬいぐるみが大好きな学生がいます。彼女は大人が堂々とぬいぐるみ好きを公言できる社会をつくるため、ぬいぐるみを預けて交流を図る「ぬいぐるみ保育園」というサービスを立ち上げて起業しました。これまで差別や偏見に苦しんでいた多くの愛好家の共感を得て、今では出資を受けたり従業員を10人ほど雇ったりしています。
このように、他人にはなかなか理解されにくい趣味こそ自分の個性を発揮する強力な武器になります。創造性と社会課題を絡めることで、大きなイノベーションが生まれる可能性が高まるのです。
――「自分にはそこまでできない」「仕事はつらいけど生活費を稼ぐ手段と割り切って、私生活を充実させたい」という考え方についてはどう思われますか?
前野:単純に週休2日計算しても週の7分の5は強いストレスを受けて生活していることになるので、あまり幸せとは言えないでしょうね。反対に、仕事人間で週末はやることがなく暇を持て余している人も不幸せと言えるでしょう。
ある研究では、仕事と家庭の境を「はっきりさせたい人(境界選好 高群)」と「はっきりさせることにこだわらない人(境界選好 低群)」を比較した際、実際に仕事と家庭の境界管理ができている状態であろうが、できていない状態であろうが、「境界にこだわらない人(境界選好 低群)」の方が“人生満足度”が高い傾向が見られました。仕事と家庭の境については、あまり区分することに意識を向けすぎない方がよさそうです。
日本では仕事と私生活を分ける派が6割で、分けること自体は悪いことではありません。でも、仕事が嫌だから私生活と切り離す状態になっていないかを問い直した方がいいでしょう。
これまでは大企業に入れば社員は守られていましたが、先が見えない社会情勢下で、仕事も私生活も楽しむにはどうすればいいかを個人が考えなければならない時代が来たと思います。
幸せに働く人は皆同じことを言います。幸せな仕事とは「成長」と「貢献」だと。とはいえ最初は、少し工夫をしてお客さんに喜んでもらう程度で十分。小さな成功体験を重ねることで、多くの人が本当の幸せに近づくことを願っています。
日本人は不安を感じやすい民族ですが、「思考のクセ」は今からでも変えることができます。幸せな働き方を目指す人は「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」の4つの因子に注目して、小さな一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
Profile
前野隆司
山口県出身。1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。博士(工学)。専門は、システムデザイン・マネジメント学、ヒューマンマシンインタフェースデザイン、システムデザイン・マネジメント学、地域活性化、幸福学、幸福経営学など。
Twitter @Happymaeno
取材・執筆:酒井理恵
撮影:大崎えりや
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