転職は20代のうちに、なんてない。

あなたは、自分のキャリアに満足できているだろうか。いまや、転職が当たり前の時代。「好きなことを仕事に」といったコピーがあふれ、「自己実現」や「やりがい」をうたい文句にする求人情報も目に付く。

一方で、いざキャリアチェンジを試みると、年齢や経験が壁になる。「20代じゃないと、新しいことには挑戦できないのでは?」「結局、同業他社じゃないと転職できないのかな」。そんな閉塞感を感じている人も多いのではないだろうか。

テレビ局のアナウンサーから、フラワーアーティストへと転身した前田有紀さん。彼女の充実した表情を見ると、「好きなこと」「やりたいこと」を見つけて、それに打ち込むことができているのだと一目でわかる。彼女はどのようにいまの日々に至ったのか、お話を伺った。

前田さんが働く姿は、自然体でありエネルギッシュだ。取材のために訪れたのは、彼女が手がけるフラワーショップ「NUR flower」。そこには、スタッフとはつらつと話す前田さんがいた。その顔は、まさに経営者そのもの。しかし、ふと花に目をやる時や花について話す時には、驚くほど柔和な表情に変わる。

2013年、前田さんはそれまで10年間勤めたテレビ朝日を退職。人気アナウンサーからフラワー業界へ転身した。30歳を過ぎてからの前例のない決断には、どんな思いがあったのだろうか。

前田さん自身は「キャリアを考える時、迷いや不安があった」と語る。その裏側をひもといてみると、誰もが悩むキャリアというテーマへのヒントが隠されていた。

迷ったから気づいた自分らしさ。
「花の裾野を広げる」という使命のために

「あなたがテレビに出ているのを見てみたい」。周囲の後押しで飛び込んだテレビの世界

テレビ局アナウンサーは、多くの人にとって憧れの職業だ。とくに放送網の中心をなすキー局ともなれば、毎年数百倍の倍率で採用枠が争われる。しかし、前田さんは「どうしてもアナウンサーになりたかったわけではないんです」と語る。

「大学生時代は、はっきりとした夢や目標がなかったんです。周囲には、入学当初から起業したり、将来の夢をはっきり公言したりしている学生が多かった。でも、私は自分が何をやりたいか、何に向いているかがわかりませんでした」

そんな中でアナウンサーという仕事にたどり着いた理由を、彼女ははにかみながら「消去法でした」と話す。

「家族の影響でテレビ局のアナウンサー職と航空会社のパイロット職を受験したんです。アナウンサーは、当時すでにテレビ業界で働いていた姉からの助言。『テレビ局は365日、同じ日が一日もない。毎日が刺激的でおもしろいよ』と言われて、志望することを決めました。

パイロットを受けたのは、父が航空関係の仕事をしていたから。でも、選考を進めていくうちに、その二つの面接が同じ日に重なってしまったんです。そのことを周囲に相談したら、『あなたがテレビに出ている姿は、おもしろいから見てみたい。でもあなたが操縦する飛行機には乗りたくない』と言われて(笑)。それで、アナウンサーの面接に行くことにしたんです」

自然体で進路を決めた前田さんだが、入社数日で人気サッカー番組『やべっちF.C.~日本サッカー応援宣言!~』の進行アシスタントに抜擢されるなど、めきめきと頭角を現していく。

「最初はやっぱり、『私がここにいてもいいのかな』という思いがありました。ほかのアナウンサーは、みんな容姿端麗でトークの技術も高かった。周囲と比べて、私はアナウンサーっぽくないのではないかと悩んだこともありました。

でも、良い“出会い”が私を前に進ませてくれました。最初に担当になった『やべっちF.C.』以降、スポーツを軸に仕事をすることができて。私自身も学生時代、スポーツをしていたこともあり、すぐにスポーツ報道の魅力にのめり込みました。そのうちに、見た目やトークのテクニックのような表面的なことではなく、本質的にアナウンサーの仕事を楽しめるようになっていったんです」

アナウンサーだったからこそ気づけた、「好きを仕事に」の本当の価値

迷いながらも、アナウンサーとしてのキャリアを紡いでいった前田さん。当然苦労も重ねたはずだが、彼女自身は「すべてがポジティブな経験だった」と話す。

「姉が言ってくれた『365日同じ日がない』という言葉は本当でしたね。私の場合、早朝の報道番組をやっていましたし、日中は取材をして、週末には深夜のバラエティー番組に出るという毎日でした。番組の内容も毎回変わりますし、取材では全国を飛び回ることになるので、もちろん苦労はありました。でも、それ以上に楽しかったですね。

取材で初めての土地に行って、初めての人と出会い、生の声を聞いて届ける。それ自体にやりがいがありましたし、行く先々で温かい声もかけてもらえる。それが一番、『アナウンサーをやっている』と実感できる瞬間でした」

前田さんは苦労も前向きに受け止めてアナウンサーとしてキャリアを充実させていった。一方で、「ある時から、アナウンサーとしての自分に少し違和感を感じるようになった」とも話す。

「取材を通じて、社会で活躍されている方々にお話を伺う機会にたくさん恵まれました。みなさん本当に目を輝かせて、ご自身の活動について熱くお話をされるんです。そんな体験を重ねて、『好きなことを仕事にするって、すてきなことだな』って、心の底から思うようになったんです。

一方で私は、目まぐるしく続く日々に身を委ねている。やりがいや楽しさはあるけど、本当に自分がやりたいことなのかな?という疑問が湧きました。アナウンサーの仕事に不満はないけれど、もっと楽しいことがあるんじゃないか、もっと輝く自分を見つけられるんじゃないかというモヤモヤした思いを抱えた時期がありましたね」

「アナウンサーよりも大きな成果を」。年齢を跳ね返す“ポジティブな反骨心”

そして、前田さんは32歳の時にテレビ局を退職。きっかけは、幼少期から持ち続けていた「自然への憧れ」だったという。

「やりたいことを模索する中で、花の仕事に興味が湧いたんです。もともと、自然への憧れが人一倍強くて。母の実家が鳥取県にあって、田んぼがある風景や川遊びの楽しさが思い出に残っています。花を扱うことで、そうした自然の良さをいろいろな人に感じてもらうことができるんじゃないかと思ったんです」

アナウンサーを辞めることを周囲に話すと、もちろん反対もあった。しかし、前田さんにとっては、周囲からの反対意見がより花の世界へ進む後押しになった。

「前例が少ない転職なので、心配されましたね。多少迷いがあっても、テレビ局のアナウンサーを続けたり、フリーアナウンサーになったりするほうが安心じゃないか、と言われることも多かったです。でも、フラワー業界について調べていく中で、『この仕事がアナウンサーよりも劣るなんてことは絶対にない。一生をかける価値がある、クリエイティブな仕事だ』と感じていたので、逆に『花の仕事で、誰からも認められる結果を出してやろう』という反骨心が湧いて、モチベーションになりました」

「花の仕事は、思ったよりもずっと楽しい」。挑戦したからこそ気づけた本当の思い

その後、前田さんはイギリス・ロンドンへの留学、帰国後はフラワーショップでの勤務を経て、2018年に独立。フラワーブランド「gui」と「NUR flower」を立ち上げた。

「イギリスでの経験は、すごく勉強になりました。日本ではお花を買う機会は限られていますが、イギリスでは老若男女問わず日常的に花と触れ合っています。その光景を見て、日本の人にも花や緑の魅力をもっと伝えたいとあらためて感じました。

その思いを胸に、『花の裾野を広げる』をテーマにして立ち上げたのが移動フラワーブランド『gui』です。アパレルショップや飲食店などさまざまなお店や施設とコラボレートして、ポップアップ形式で花を置かせてもらっています。この形式なら、お祝いや記念日といった目的がない人でも、花に目を留めて、興味を持ってくれる。男性やお子さんが買っていってくれたりすると、本当にうれしいです」

前田さん自身が、花の仕入れや帳簿への入力などの業務をこなすこともあるという。

「アナウンサーとして10年ほど働いて、『自分は常識人になったはず』と思っていたのに、いざお店に立つと難しいことばかり。レジ打ちでは金額を間違えてしまったことも(笑)。30代半ばで自分の未熟さを知ることができたのは、チャレンジしたからこその経験でした。

花の仕事は、始める前のイメージよりもずっと楽しいです。重いものを運んだり、朝早く市場に出かけたりと、体を使う仕事も多い。でも、私は自然に触れて体を動かしながら働くのが好きなんだと気づくことができました。迷いがあってもチャレンジしたからこそ、『好きを仕事にする』ことができたんです」

「いまの自分は自分らしい」。前田さんが思う自己実現の秘訣

この日、取材に訪れた「NUR flower」は、神宮前の閑静なエリアにたたずむフラワーショップだ。このショップのオープンに至るまでは、さまざまな縁や出会いがあったという。

「まず、良い場所に出合うことができました。この『NUR』は、入り口が少し奥まっていて、緑のアプローチを通って店に入る。入り口までの間に、『今日はどんな花があるだろう、どんな一輪を買って帰ろう』と想像することができます。そんなワクワクする時間も含めて、花の魅力だと思うんです。

それに、『NUR』ではアーティストさんや作家さんとのコラボもよく行っていて、フラワーベースやアクセサリーなども取り扱っています。そうしたアーティストさんたちや農家さん、そしてもちろん店で働いてくれるスタッフとの出会いがあって、この『NUR』を運営できています。それに、『gui』で花に興味を持ってくれたお客さまが、『NUR』にも来てくださることが増えて。『花の裾野を広げる』という夢がだんだんかなっているという実感が持てて、本当にうれしいです」

出会いに恵まれながら、挑戦の結果「好きな仕事」を勝ち取った前田さん。最後にあらためて、自身のキャリアの振り返りと今後の展望を語ってもらった。

「目標がなかった学生時代や、花への憧れで日本を飛び出した9年前のことを考えると、私は事前に緻密な計画を立てるのではなく、その時の興味が赴くままに行動するタイプ。だからこそ、出会いに助けられて、新しい視点に立てたのかなと思います。

いまは母親として育児と仕事を両立していることもあり、日本中の子どもたちが花や自然と触れ合う機会をつくりたいと思うようになりました。その一環として、子どもを対象にした花のワークショップを開いたり、売れ残って破棄されてしまう花を児童養護施設に寄付したりといったことに取り組んでいるんです。『自然が、花が好き』という気持ちから、こうしてどんどんと夢の種が生まれて、芽が出ていく。一瞬一瞬で、『いまの私、自分らしいな』と実感しながら歩むことができています」

夢や目標は誰もが簡単に見つけられるものではない。今回の取材で前田さんは、順風満帆に見える彼女にも、大学生時代やアナウンサー時代にたくさんの迷いや葛藤があったことを打ち明けてくれた。

そんな彼女が花という一番輝けるフィールドを見つけることができたのは、自分の中の小さな違和感に気づき、行動したから。仮にその時、「いまからでは遅すぎる」と判断して行動を起こさなかったら、大きな後悔が残っただろう。

また、自分の内なる声を聞いて「好きなこと」に気づいても、それを仕事にできるとは限らない。しかし、その「好きなこと」をベースに生きれば、一見全く関係がない仕事や人間関係に生かすことができるかもしれない。いとおしそうに花の説明をしてくれた前田さんの横顔からは、そんなメッセージが読み取れた。

20代で仕事をしっかりと定めて、30代で結婚して、出産して……といったプランが悪いとは言いません。でも、それに縛られて道から外れないように頑張るのではなく、その時その時の自分に素直になって、「やりたい」と感じることに挑戦するべきだと思います。

私自身、いまは仕事と並行して子育てにも励んでいます。いろいろと制限はありますが、自分のスタイルを模索しながら楽しく働いています。私のキャリアがどんな人にも参考になるものだとは思いませんが、少しでも自分自身の気持ちや環境に寄り添った人生を歩む人が増えればうれしいなと思います。

取材・執筆:生駒 奨
編集:白鳥 菜都
撮影:服部 芽生

前田 有紀
Profile 前田 有紀

1981年、神奈川県生まれ。2003年にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社。スポーツ、バラエティー、報道など多方面で活躍する。2013年にテレビ朝日を退社し、フラワーアーティストへ転身。2018年に株式会社スードリー(SUDELEY)を設立し、ブランド「gui」「NUR flower」を手がける。

オフィシャルサイト 株式会社スードリー
Twitter @yukimaeda0117
Instagram @yukimaeda0117
gui(Instagram) @gui.flower
NUR flower(Instagram) @nur__flower

#執筆 犀川及介の記事

もっと見る

#撮影 服部芽生の記事

もっと見る

#編集 白鳥菜都の記事

もっと見る

その他のカテゴリ