夫婦は同じ家に住まなきゃ、なんてない。【妻編】
松場登美さんと松場大吉さんは、結婚して約50年の夫婦だ。石見銀山に本社を構えるライフスタイルブランド、石見銀山 群言堂を共に営むビジネスパートナーでもある2人は、自他共に認める「なかよし夫婦」だ。その一方で、約20年前から「別居婚」をしているのだという。
登美さんの著書『なかよし別居のすすめ』(小学館)によると、2人の別居は「夢をかなえるための別居」だったとつづっている。ここでは、妻の登美さんから見た「家族のあり方」を伺っていく。
連載 夫婦は同じ家に住まなきゃ、なんてない。
2022年5月、株式会社LIFULLでは多種多様な家族のあり方をひもとく映像作品、『うちのはなし~「家族は必要?」から考える、自分らしく生きること~』を制作した。4つの家族のストーリーから、現代における「家族」を問いただす内容となっている。
その中の一家族として紹介された大吉さん・登美さん夫婦は、3人の子どもたちが独立した後、婚姻関係は保ちながらも、それぞれの道に進むため同じ町内での「別居」を選択した。2人が選択した「なかよし別居」とは、どんなきっかけで始まり、どんな変化をもたらしたのだろうか。「別居して、夫への感謝が自然とあふれるようになった」と話す登美さんに、その訳を聞いた。
大吉さんは“最良のパートナーで
最強のライバル”
夫に背中を押されて始まった、夢をかなえるための“別居”
登美さんは、パートナーの大吉さんと約20年別居をしている。彼女は2人の別居を“なかよし別居”と称し、2020年には自著『なかよし別居のすすめ』も上梓した。
「別居を始めてから約20年間、夫の家にはほとんど行っていないですね。私の暮らしの中心には『他郷阿部家(※)』があり、お客さまがいらっしゃる日は接待をしたり、阿部家での仕事がない日は社員を招いて食事会をしたり。最近は、Netflixでゆっくり映画を見る時間も大好き。阿部家のことを考えていると、目が覚めてから寝るまでずっと楽しいんですよ」
2人が別居を始めたきっかけは、大吉さんの話にも出てきた「他郷阿部家」にある。
「大吉さんと出会ってから長らく服や雑貨をデザインしていました。でも、いつか暮らしをデザインしたいと夢見ていて。そんな中、導かれるように阿部家を“授かった”んです」
2人は当初、阿部家敷地内の田んぼのみを買い取っていた。200年以上も前に建てられた文化財である武家屋敷の母屋は歴史的価値が高く、「母屋だけを買い取りたい」と言う人も多かったと振り返る。しかし、ひどく老朽化した屋内に驚き、購入に至ることは結局なかった。結果、土地の一部を所有している松場夫妻が“購入せざるを得なかった”そうだが、登美さんはそれを“授かった”と表現する。
「当時の阿部家は屋内までツタが絡まっているし、障子もふすまも破れてボロボロでした。でも、台所には立派な“おくどさん(かまど)”が残っていて、なんだか懐かしいような気持ちになる空間だったんです。私の理想は、祖父母から父母、そして父母から子どもへ受け継がれていく丁寧で美しい暮らし。そんな暮らしのデザインが、阿部家でなら実現できるかもしれない。そう思って、私が“理想とする暮らし”を表現する場にしてみたいと夫に提案しました」
登美さんからの提案に大吉さんは、「あなたの理想の暮らしをつくり上げたいなら、まずはあなたがそこに住まないと本物にならない」と助言をしたそう。彼の言葉を聞いて、登美さんはワクワクが止まらなかったと当時を振り返る。
「先に夫から提案してもらったことで、迷いなく阿部家に住むことを決断できました。私たちが別居を始めたのは今から約20年前。今以上に『別居なんて、夫婦仲が悪いのか』と色眼鏡で見られていたかもしれません。でも、ずっとやりたかったことがついに実現するという希望で胸がいっぱいで、周りの反応は気にならなかったですね(笑)」
※他郷(たきょう)阿部家
世界遺産・石見銀山の歴史ある武家屋敷を再生させた宿泊施設
自由にさせてくれる人でなかったら、きっと今の私はなかった
周りの反応が気になって自分の理想を実現できない人も多い中、登美さんはなぜ自分らしく突き進めるのか。その理由を「私は昔から変わり者だったから」と登美さんは語ってくれた。
「昔から『おまえは変だ』『おまえの考えは受け入れられない』と言われることが多くて。周りとぶつかることもよくありました。そんな私を初めて受け入れてくれたのが、高校時代の恩師。私の考え方や物の見方が面白いと褒めてくれました。その時に初めて『私は私のままでいいんだ』と自信を持てたのかもしれません。
高校を卒業する間際、その恩師から『登美のようなタイプが結婚するとしたら、箸にも棒にもひっかからないようなダメな男か、強引に引っ張るタイプの男か、大きな心で包んでくれるタイプの男だと思う』と言われたんです。
それから面白いことに、先生が言ったようなタイプの男性が順番に現れたんですよね(笑)。いわゆるダメ男タイプの方からプロポーズを受けたこともありました。でも、生涯を共にするなら変わり者の私を大きな心で包んでくれる人がいいなって。そんな時に出会ったのが、夫の大吉さんです」
大吉さんと結婚していなかったら、きっと今の私はなかった。登美さんがそこまで言う理由は何なのか。
「大吉さんのようにパートナーを尊重し、自由を与えてくれる人でなかったら、自分を押し殺して、遠慮して生きていたと思います」
大吉さんと結婚後、しばらくは2人が出会った名古屋で生活をしていた。しかし、長女が5歳、次女が3歳の時に大吉さんの実家のある島根県大森町に住居を移すことになる。登美さんは当時のことを振り返って、「葛藤が大きかった」と話した。
「今の若い人たちには想像できないかもしれませんが、当時の“田舎の長男の嫁”は大変なことが多くありました。特に、私と夫は先に子どもができてから結婚したので、肩身の狭い思いも何度かありました。どんな場所でも私らしく生きていたい。でも、長男の嫁として夫の実家に戻ったからには、自分を押し通してばかりもいられない。そんな葛藤は常に抱えていましたね」
しかし、そんな時も大吉さんは登美さんを大きな心で包んでくれていた。
「夫もきっと両親と私の間で苦労したことも多かったと思います。それでも、家庭内で何か問題が起きた時、彼は私を否定することなく受け入れてくれました。そこは今でも夫に感謝しています」
登美さんは大吉さんとの関係を、“最良のパートナーで最強のライバル”だと言う。夫婦のみならずビジネスパートナーでもある2人の関係は、強固な絆で結ばれてきたのだろう。しかし、子どもたちには幼かった頃には、寂しい思いをさせることもあったと登美さんは語る。
「大森町に移った頃は、まだ事業も軌道に乗っておらず貧しい生活をしていました。事業を成功させるためにも、子どもたちに貧しい思いをさせないためにも、私と夫は寝る間を惜しんで働いていて。甘えたい盛りの子どもたちには我慢をさせてしまいましたね。長女、次女とは年が離れて生まれた三女は、特に家族と過ごす時間が少なく寂しい思いをしていたと思います。
ある時、忙しい私たち夫婦に代わって、親戚が三女を旅行に連れて行ってくれたんですね。彼女はすごく喜んで、家族全員分のお土産を買ってきてくれました。旅行の話をしながら、『本当は、家族みんなで行きたかった』と泣き出してしまって……。私はその様子にショックを受けて、その日は一切仕事をせず一緒に過ごしました。ただ2人で近所のスーパーに行くだけで、すごく喜んでくれたんですよ。その時のことを思い出すと、今も胸が苦しくなります。
三女だけでなく、長女も次女も私たち両親の前では気丈に振る舞っていたけれど、きっと寂しい思いをさせていたと思います」
両親が多忙だったからか、3人の娘たちはみんな早くから精神的に自立していたと言う。長女と次女は15歳、そして三女は12歳の頃に進学のため家を出た。しかし、次女と三女は結婚後、再び大森町に戻ってきた。
「私と夫が別居することを娘たちに伝えた時、『2人らしいね』『楽しそう』と認めてくれたのはうれしかったですね。
現在、次女は私の家の斜め向かいに、三女は夫の家の隣に住んでいます。私たち夫婦がお互いの家を行き来することはめったにないですが、娘家族はよく私の家にも夫の家にも遊びに来てくれるんですよ。今では、私と夫が忙しい娘夫婦に代わって孫たちのお世話をすることも多いんです。今日は次女家族のお昼ごはんをつくってからこの取材に来ました(笑)。
小さい頃、娘たちに寂しい思いをさせてしまった事実は変わりません。でも、今は『何歳になっても自分らしく、楽しく人生を送れる』と伝えるのが私の役目だと思っています」
単に仲がいいだけでなく、“信頼と自立”が成り立っている2人
登美さんの、暮らしをデザインする夢をかなえるためにスタートした別居。別居してから、登美さんは大吉さんに対して“ある感情”が芽生えたと話す。
「何かにつけて感謝するようになりましたね。私がこうやって自由を謳歌(おうか)しているのは、夫のおかげだなって。
もちろん、同居している時も感謝はありましたよ(笑)。夫と一つ屋根の下で暮らすことに不自由さやストレスを感じていたわけではありません。ただ、食器一つ選ぶにも、夫の好みかどうかを気にしていましたね。でもそれが“誰かと一緒に暮らす”ということだと思います。
今は1人で暮らしているから当たり前なんですけど、家のしつらえはすべて私が決めます。そういう細かいところまで自由を感じられるのも、夫が私に自由を与えてくれるからだなってしみじみ思うんですよ」
別居はお互いに自由をもたらす。しかし、登美さんも大吉さんも、「自由と同時に責任がある」と言い切るのが印象的だった。登美さんは何もかもを自分の判断で選ぶようになったことで、本当の意味で“自立できた”と話してくれた。
「以前夫と2人でテレビに出た時、作家の村上龍さんが私たちの関係について『単に仲がいいだけでなく、“信頼と自立”が成り立っている』とコメントしてくださったんですね。これは私たちの場合、別居したから確立できた関係だと思っています。
近くに誰かがいると、無意識のうちに相手の判断に頼ってしまうんですね。食器を選ぶのもそうだし、何かトラブルが起こった時もそう。もちろん、気軽に相談できる相手がいるのはとてもいいことなんですけど、頼りすぎるといつまでたっても自分の判断に自信が持てないままでいるんです。そして自分で決断したわけじゃないから、予想外の結果になったら相手を責めたり、後悔したりしやすい。
私は別居によって、自分で決めなければいけない機会がぐっと増えました。最初は恐る恐る決断していましたが、だんだん自分で決めることが楽しくなってきて。人生って“判断の連続”だから、自分の判断力に自信がついてくると、これからの人生が希望に満ちあふれてくるんです。もちろん、時には失敗もありますが、誰かを責めたり後悔したりするのではなく、『またゼロから考え直せばいいや』と前向きに思えるようになりました。
私は今72歳ですが、まだまだ日々挑戦しています。80歳、90歳を迎えた時、どんな私になっているのか。今から楽しみでしょうがないんですよ」
理想の家族像は、人の数だけある
“信頼と自立”で成り立つ、登美さんと大吉さんの関係。今回登美さんのお話を伺い、彼女が大吉さんを心から信頼し、尊敬していることが感じられた。なぜ2人はここまで良い関係を築けるのだろうか。
「やっぱり程よい距離感じゃないですかね。『結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ』って言葉があるじゃないですか。本当にそのとおりだと思っていて(笑)。別居しているとちょうど片目で見えるものくらいしか見えないから、いい意味で相手のことを気にしすぎずに済むのだと思います。
また、自分が自由でいられることも大事ですね。人間って自分が縛られていると、他の人まで拘束したくなると思うんです。私も“田舎の長男の嫁”として嫁いだばかりの頃は制限も多く、自分らしく自由に暮らしている人を見てはうらやましく思いました。逆に言えば、自分が自由だと人の自由も認められると思うんです。
程よい距離感と自由が、私たち2人が仲良くいられる理由。そのための最良の手段が“別居”だったのだと思います」
最後に、登美さんが思う理想の家族像を伺った。
「今のわが家は理想にかなり近いと思います。夫との距離感もその理由の一つですね。でも、多様性っていう言葉があるように、私の理想は他の人の理想ではない。人の数だけ理想の家族の形があるはずなんです。
自分の本心と向き合い、人のせいにせずに歩み続けることで、誰のものでもない自分の理想が実現できるはずです。そのために必要なのが“自分で判断する力”なのだと思います」
「変わり者」と言われながらも自分と向き合い、自分の判断で生きてきた登美さん。今では彼女のライフスタイルに憧れる人も多い。彼女が己を貫けたのは、彼女が自分で判断し続けたこの20年の結果に違いない。しかし、大吉さんという“最良のパートナーで最強のライバル”の存在を語らずして彼女の物語は成り立たない。きっと10年先も20年先も、2人はお互いを鼓舞しながら、自分だけの物語を歩き続けるのだろう。
取材・執筆:仲 奈々
撮影:渡邉英守
1949年、三重県生まれ。1981年に夫・大吉の実家のある島根県大田市大森町に移住。1988年に大吉と共に、日本全国で展開するライフスタイルブランド・石見銀山 群言堂の原点となる有限会社松田屋を設立。2011年には、株式会社石見銀山生活文化研究所の代表取締役に就任した。古民家の再生にも力を入れており、その1つである「阿部家」の購入をきっかけに、夫の大吉と「なかよし別居」を始め、その生活は“新しい家族の形”として多方面から注目を浴びている。
Instagram @matsuba_tomi
暮らす宿 他郷阿部家 公式サイト
石見銀山 群言堂 公式サイト
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