もう会社にオフィスは不要、なんてない。

赤澤岳人さんが社長を務める株式会社OVER ALLsの事業の中心は「オフィスアート」 だ。これは、会社の会議室やフリースペースなどの壁に絵を描くというもの。絵柄は社員たちの顔だったり、あるいは別のモチーフだったりする。なぜオフィスの壁に絵を描き始めたのか。そこで働く人たちにどんな効果をもたらすのか。アートをビジネス化した経緯を赤澤さんに伺った。

新型コロナウイルス感染症の蔓延をきっかけにリモートワークが一気に普及した。東京都内の企業(従業員30人以上)の2022年2月時点におけるリモートワーク実施率は62.7%に上る(※1)。会社に出社する意義が問われ、オフィス不要論も取り沙汰されている。一方で、リモートワークによって仕事に対するモチベーションを失う働き手も増えている。例えば、2020年の調査では、リモートワークの実施前後で「働くモチベーションが低い」群の割合が合計8.4ポイント増加した(※2)。そんな中でオフィスアートは、オフィスのあり方、そこで働く人たちの意識をどう変えていくのだろうか?

※1出典:東京都「テレワーク実施率調査結果をお知らせします!2月の調査結果」
※2 出典:株式会社リクルートキャリア「新型コロナウイルス禍における働く個人の意識調査」

仕事を通して社会貢献していることを
思い出してもらうために
オフィスの壁に絵を描く

仕事が生きる道を与えてくれると痛感した

赤澤さんは「アートで世の中を変えてやるぞ」という思いから事業を始めたわけではなかった。オフィスアートの原点はどこにあるのか。話は大学時代の就職活動までさかのぼる。

「自分が会社に就職するイメージは持てませんでした。『みんなやっているから』という理由だけで就職活動をすることに強烈な違和感があったんです。でも、他の人は大学生活ではハメをはずして遊んでいたはずなのに、就職シーズンになった途端、同じようなリクルートスーツを着込み、似たような髪形にして、こぞって面接なんかに行くわけです。

『TPOをわきまえる』『相手に敬意を表す』と言えば聞こえはいいですが、ただ周りに迎合しているだけで、自分の頭で考えていない。かえって相手に対して敬意を欠くことだと思います。自分がそんな振る舞いをするのは絶対に嫌でした」

それでも赤澤さんは、ファッションに興味を持っていたこともあり、アパレル会社に就職することを考えた。

「選考は順調にクリアし、役員面接を受けることになりました。アパレルの会社ですし、『服装は自由』と書いてあったので、ジーパンをはいて行ったんです。ところが、役員に『なんでスーツじゃないの?』と怒られました。あまりに悔しくて、『御社で作っている商品が何なのか、わかっていますか?』と言い返して帰りました」

大学を卒業した後はアルバイトなどをこなしながらも、赤澤さんは無為な生活を過ごす。次に就職活動を始めたのは29歳の時だ。

「もう新卒じゃないので、就活サイトには登録させてもらえません。仕方がないので、ハローワークに行きました。ハローワークの求人は玉石混交でした。

ある会社に面接に行ったら『なんや?面接? 邪魔くさいなぁ』と露骨に煙たがられました。それと、ハローワークに駐輪場がなかったのも困りました。無職ですから往復440円の電車賃なんて出せませんよ。だから自転車で行ったんですが、容赦なく撤去されてしまったこともあります」

当時は履歴書はすべて手書き。100枚以上は書いたという。それでもなかなか就職は決まらない。面接では人格を否定される言葉を何度も浴びせられた。「自分は社会に必要のない人間だ」と思い詰めるようになり、赤澤さんは精神を病んでいってしまう。

しかし、最終的になんとか人材派遣会社のアルバイトとして雇ってもらえることになった。

「あれほど嫌だと思っていたスーツを着てヒゲをそり、ピアスもはずして、毎朝9時にきちんと出社する生活を送りました。すると、精神の問題は一気に解決したんです。この時痛感しました。『人は働いていないとダメなんだ』『仕事が生きる道を与えてくれるのだ』と」

仕事を通して社会に貢献しているという実感を得たことで、生きる気力がわいてきた赤澤さん。精力的に仕事をこなし、新規事業を仕掛けるなど「思いっきり暴れさせてもらった」という。

そんなある日、運命的とも言える出来事が訪れる。画家・山本勇気さんとの出会いだ。

「2015年5月のみどりの日にいろいろなアーティストが集まるイベントがあって、僕はその総合司会を頼まれたんです。山本さんは、人の顔の絵をライブで描くパフォーマンスをしていました。ほかのアーティストは『アート』ではなく『アーティスト』をしているという印象でした。つまり『人と違うことをしてやろう』としていたんです。もちろん、それも素晴らしいことなのですが、山本さんは奇をてらうのではなく、『自分の頭でしっかり考えている』『生きることに真剣に向き合っている』感じがしました」

実は山本さんも赤澤さんに対して同じ印象を抱いたという。さらに、フォークシンガーの竹原ピストルさんが以前に組んでいたバンド・野狐禅。そのライブを赤澤さんも山本さんも観ていたことがわかった。

「今でこそ竹原ピストルさんは超有名ですが、当時の野狐禅はまだあまり知られていなくて。偶然に出会った二人が、同じライブを観ていたなんて奇跡に近くて(笑)。それで意気投合したんです」

壁画を見れば「俺たち、いい仕事してるよな」と思える

赤澤さんと山本さんの出会いは、現在のオフィスアートにどうつながっていくのだろうか。

「ある時、山本さんから『仕事を手伝ってほしい』と頼まれました。僕はその頃、人材派遣会社を辞めてフリーランスとして活動していたんです。といっても、仕事をしていたわけではなく、無職に近い状態で。暇だったので軽い気持ちで引き受けたんです」

当時、山本さんは肖像画を描き1枚5,000円で売る仕事をしていた。

「『それではいかん』と思いました。あまりに安すぎるだろう、と。そこで僕は山本さんの肖像画に1枚4万円の値段をつけました。参考にしたのは胡蝶蘭です。3本差しなら2万7,000円、5本差しなら4万8,000円。その間をとって4万円にしたわけです」

胡蝶蘭といえば、開店や開業祝いなどの贈り物としてポピュラーだ。しかし、赤澤さんはそこに少し疑問があるという。

「胡蝶蘭はすてきな花ですし、お祝いに贈るのも悪いことではありません。でも、『とりあえず胡蝶蘭でも贈っておこう』と、自分の頭でしっかり考えていないケースもありそうです。お祝いの品は、本当に相手のことを思って選ぶものではないだろうか。その意味で、山本さんの肖像画は贈り物にピッタリだと思ったんです」

肖像画は写真を送ってもらえば描くことができる。しかし、赤澤さんと山本さんは相手のもとに赴き、きちんとヒアリングを行う。相手の思いも絵に込めるためだ。

「そんなふうに『仕事に全力を尽くす』からこそ、相手に喜んでもらえていると思っています。中には、完成した絵を目にした途端、泣き出してしまう人もいましたからね」

やがて赤澤さんたちは会社を設立。赤澤さんが企画・プロデュースを行い、山本さんが絵を描くスタイルが確立していく。二人の仕事が、肖像画からオフィスアートに変わっていくきっかけになったのは、あるインテリアスタイリストからの依頼だった。

「『オフィスの壁に絵を描きませんか?』と言うので、『いいですよ』と答えて、山本さんと先方の会社を訪れたんです。先方はオフィスを改装して壁が殺風景になったので、ちょっと飾りつけるくらいの軽い気持ちだったのでしょう。でも、僕は『仕事に全力を尽くす』とは何かを考えました。会社にも個人と同じように“思い”があるはずだから、それを聞いてみることにしたんです。『なんで改装しようと思ったんですか?』などと根掘り葉掘り質問しました。先方は『面倒くさいなあ』と思ったでしょうけど(笑)」

依頼主はIT系の会社で、社内で営業マンとエンジニアの間に交流がないことが課題となっていた。そこで、両者が集まる場所としてフリースペースをつくった。その壁に絵を描いてほしいというのだ。

「ほっと一息つける場所で、両者の間を取り持つ意味を込めてコーヒーマイスターの絵を山本さんが描きました。これは綿密なヒアリングの成果です。この依頼をきっかけに『企業理念なんかも絵にできるよね』と思いつきました。実際『会社のストーリーを壁画にします』とアピールしたら、多くの反響があったんです。これが現在のオフィスアート事業につながっています」

会社で働く人は、その企業理念に共感したからこそ入社しているはず。ところが、仕事に明け暮れているとその気持ちを忘れがちだ。

「会社で働く人が自分の仕事の意義を意識するのは、例えば緊急事態の時です。こんな話を聞きました。3.11(東日本大震災)が起こり、被災地で救援物資が避難所にうまく配れていない。そこで大手配送会社のスタッフが現地に入り、日頃のノウハウを駆使して救援物資を滞りなく配送する体勢を整えたそうです。現地のスタッフは『俺たち、いい仕事してるよな』と実感したといいます。『荷物を届ける』という本来の仕事こそが何よりの社会貢献になっている。そのことに気づいたわけです」

緊急事態に陥らなければ自分たちの仕事の意義に気づかないのは悲しい。しかし、オフィスアートに触れれば、日頃から「俺たち、いい仕事してるよな」と実感できるはずだ、と赤澤さんは語る。

かつて人材派遣会社に就職が決まった時に赤澤さんが痛感した「仕事を通して社会に貢献している」。多くの人に同じように感じてほしい、という思いがオフィスアートには込められているのだ。

「企業理念を壁画にしたことで、『社員が生まれ変わった』とおっしゃる経営者の方もいます。アートによって自分の仕事の意義を意識し、全力を尽くす。人の役に立てている実感を持ち、生きる気力を得る。そんな働き手がもっと増えていけば、この国にとって大きなプラスになるはずです」

「社員たちにも自由に絵を描いてもらいたくて、オフィスの壁はキャンバスのような白壁に統一した」というオフィス内部。右のアートは山本さんが描いた社員たち。

「情熱がありますね」と言われると悔しい

今後、リモートワークが普及していけば、オフィスのあり方は変わっていくと思われる。赤澤さんは、これからのオフィスは教会のようになっていくだろうと予想する。

「教会は信者の信仰心を高める場所です。毎日ではなく、土・日曜などのミサのある時だけ訪れる人も多いでしょう。教会で信者の心に働きかけるのは、神々しいキリストの像や色彩豊かなステンドグラス、窓から差し込む荘厳な光だったりします。それらはいずれもアートと言えます。教会と同じように、今後はオフィスも時々足を運ぶ場所になっていくはずです。たまに出社した時に、オフィスに描かれたアートに触れることで、自分の仕事に対する思いを意識するわけです」

オフィスのあり方が変わる中、オフィスアートの依頼は順調に増えている。だが「これまで満足できたプロジェクトは一つもない」という。

クリエイターは、常に『こうすればよかった』『こんなふうにもできたな』と思っているものです。ある会社にオフィスアートを描くためにヒアリングに行った時、その会社は積極的に発言をすることが苦手な方が多く、なかなか深い話が聞き出せませんでした。『どうしよう?』と思って、試しに自分たちの思いをフリップに書いてもらいました。『それでは○○さん、フリップをオープン!』と、テレビ番組みたいにミーティングを進めたら、素晴らしいアイデアがたくさん出るようになったんです。でも、それを最初のミーティングでやっていたら……と残念でなりません」

オフィスアートという仕事に全力を尽くしている赤澤さんだが、「仕事に情熱がありますね」と言われるのは悔しいという。

「仕事に情熱は1ミリもありません。仕事は情熱やモチベーションでやるものではないと思っています。僕は、目の前にいるお客さんのことを徹底的に考え、ベストなアートとは何かを試行錯誤し、最高の壁画を残そうとしているだけです。仕事に情熱があると見られているうちは、まだまだ未熟なんです」

仕事で全力を尽くすのは当たり前のように思える。しかし、私たちは「当たり前」が意外とできていないのではないだろうか。赤澤さんは「当たり前」を愚直に行っている。だからこそ、赤澤さんたちの「オフィスアート」が顧客の会社を変え、ひいては社会を変えていくことにつながっていくのだろう。

 

「仕事に情熱を持てない」「モチベーションが上がらない」と悩む人もいるかもしれません。いまの仕事を全力で……いや200%の力でやってみてはどうでしょう? モチベーションを言い訳にせず、無理やりにでも成果を出すんです。トイレ掃除でもなんでも構いません。圧倒的にトイレを磨きあげたら、誰かの目に留まるはず。全力を尽くしている人を周りは放っておきません。そうしているうちに「やりたいこと」が出てきます。それこそがあなたにとって本当の仕事です。僕の座右の銘を紹介しましょう。

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」(小林一三:阪急阪神東宝グループ創業者)

取材・執筆:米田政行(Gyahun工房)
撮影:内海裕之

赤澤 岳人
Profile 赤澤 岳人

株式会社OVER ALLs 代表取締役社長。関西の私大を卒業後、古着屋店長を経て、24歳でロースクール(法科大学院)に入学。卒業後、無職・引きこもり生活を経て、29歳で大手人材派遣会社に就職。営業職を経験後、新規事業責任者として事業承継をテーマとした社内ベンチャーに従事。2016年9月に退職し、画家・山本勇気とともに株式会社OVER ALLsを設立する。会社経営と、アートの企画・プロデュースを担当。

株式会社OVER ALLs Webサイト
Twitter @overalls_aka

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