アイドルは自分らしく生きられない、なんてない。
「モーニング娘。」のメンバーとして、10代、20代を全力で駆け抜けてきた高橋愛さん。立ち止まったら抜かされ、スパートをかけても追いつけない厳しい世界で、彼女はどう自分軸を保ちながら戦ってきたのか。女優やモデルのみならず、ファッションアイコンとしての地位も築き上げたこれまでの軌跡を綴る。
組織に所属することは、看板を背負うということ。「モーニング娘。」は、看板というにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、堅固で、とてつもなく重たい。それは、まさに“壁”だった。背負っているときは重くのしかかり、下ろすときもひと筋縄ではいかない。長らく掲げた看板を外せば、その跡も残るだろう。アイドル卒業者は大成しづらいというジンクスをはねのけ、同年代の女性が憧れるファッションアイコンへ。屈託のない笑顔でインタビューに答える彼女は、年齢を重ねながらいくつもの壁を乗り越えてきた自信と輝きに溢れていた。
どんなスピードで走ってもいいし、
歩いても、止まってもいいんだ
高橋さんの人生において、間違いなくそれは“転機”となるひとつの出来事だった。
「小学2年生のときに、宝塚に出合いました。あのキラキラした洋服を着て、私もステージに立ちたい――。それまで、男の子とばかり遊ぶようなやんちゃな子だったのですが、すでに習っていたクラシックバレエの練習も今まで以上に頑張るようになり、本気で男役のトップスターを目指していました」
その強い思いに反して、成長期にもかかわらず高橋さんの身長は伸び悩んだ。どこかで「無理かも」と感じ始めていたときに、「モーニング娘。」第5期のメンバー募集を知る。当時の「モーニング娘。」は、のちに“黄金期”と呼ばれた時代。普通の中学生の女の子であった高橋さんが、憧れをもつことになんら不思議はない。
ただ必死に走り続けた、「モーニング娘。」時代
「モーニング娘。」の第5期メンバーとして加入し、在籍10年。6代目リーダーを約4年4カ月務め、長きにわたってグループを支えた高橋さん。
「『モーニング娘。』に入ってからは、壁の連続でした。厳しい世界であると覚悟はしていましたが、こんなにも怒られるものかって。それが、私にとっての最初の壁です。先輩たちについていくのに必死で、本当にきつかったけれど、幼少期からずっと抱いていたステージに対しての憧れがあったから、頑張ろうと思えました」
宝塚を諦め、「モーニング娘。」を選択したのは自分自身。その選択に、少しの迷いもなかったという。結果についての全責任を負う決意に基づいた選択は、常に正しい。
©モーニング娘。「そうだ!We’re ALIVE」ジャケット写真
「第2の壁は、曲で自分の受けもつパートを初めていただいたとき。まだ6期生も入っていない新メンバーの頃だったので、私には大役すぎて。自分が間違えたら、やり直しになる。それだけは避けなければと必死でした。努力している意識はなく、とにかく必死。本番前の楽屋でもずっと練習していました」
誰がパートをもらったとか、今回はあの人がセンターだとか、あからさまに結果が出る世界において、仲良しこよしではいられない。グループの人間関係を「戦友に近い」と高橋さんは話す。そして、前リーダーの突然の脱退を受け、6代目リーダーに就任することに。
「またもや、目の前に壁が現れたと感じましたね。このときに限っては、壁と認識したときにはすでに遅く、立ち尽くすことしかできませんでした。何とかして乗り越えようともがいていたら、声を掛けてくれた先輩方がいて。中でも、中澤裕子さんが掛けてくれた『愛ちゃんは、愛ちゃんのままでいい。ちゃんとリーダーのカラーになっていくから大丈夫!』という言葉に、すごく救われました」
©演劇女子部「僕たち可憐な少年合唱団」劇中写真
人生最大の壁は、卒業後に待ち受けていた
宝塚のステージを夢見た少女は、舞台は違うものの、再びミュージカルの世界への憧れを募らせた。
「いつかは自分も卒業を、と考え始めていた時期に、帝国劇場で公演されるお仕事のオファーをいただきました。しかも、ヒロイン。大きい舞台ですので、1年くらいかけて稽古をするため、『モーニング娘。』との両立は厳しい状況でした。まわりからは、『今は卒業のタイミングではない』と言われたのですが、自分の中では、流れに乗るべきだと判断したんです」
ミュージカルの世界にいるのは、オーディションを勝ち抜いてきたえりすぐりのメンバーたち。卒業後しばらくは、“元「モーニング娘。」の”という看板が外れず、彼女への風当たりも強かった。
「これまで厳しいと感じていた世界も、一歩外に出たら“ぬるま湯”だったことに気づかされました。『モーニング娘。』には多くのメンバーがいて、自分に足りないところを補ってもらえていましたが、これからはすべてをひとりでやらなくてはいけない。看板の大きさに支えられていたことを痛感しました」
別の現場では、「歌い方がアイドルだ」と指摘されたことも。気づかないうちに、アイドルを引きずっていた自分を恥じ、持ち前の負けず嫌いな性格を生かして、その壁を乗り越えてきたそう。
「思い当たる節があったので、『アイドル』って言われたときは、すごく悔しかったです。とっさに『アイドルなんて嫌いです!』って心にもないことを言い返してしまったのですが、そのとき『モーニング娘。』の愛ちゃんから、高橋愛にならなきゃいけないと本気で思いました。次にまた呼んでもらうためには、ここで踏ん張らないと。卒業してから3年は、がむしゃらに頑張りました」
やがて、彼女が「モーニング娘。」時代からの私服のセンスのよさに注目が集まり、ファッション誌のモデルとして活躍するように。
「ご縁があって結婚できたこともあり、パートナーと過ごす時間も大切にしたいと思いました。ミュージカルを少しお休みすることにして、今やりたいことを見つめ直していたら、幼少期から大好きだったファッションのお仕事が増えてきて。立ち止まったり、振り返ったりしていいんだ、と思えた瞬間でした。スピードを弱めることすら許されなかった状況にいた私は、止まったら抜かされるという既成概念にとらわれていたのだと思います」
笑って過ごせるならそれでいい。何事も自分次第
今、彼女の目に映る世界はとても穏やかで優しい。変わらず宝塚を愛し、「キングダム(歴史漫画)が、毎週楽しみで」とニコリ。高橋さんが多くの女性から共感を得る理由は、ここにあるのかもしれない。
「何事もやっているときは、結果はわかりません。結果はあとからついてくるものだから、とにかく楽しくやるのが一番かなと。最近、事務所の後輩でもある『ハロー!プロジェクト』の子たちのファッションやメイクをプロデュースする機会があったのですが、それがすごく楽しかったんです。本人は気づいていない新しい一面を引き出すことにやりがいを感じています」
自分は意外と裏方気質だったと笑う高橋さん。個人のパフォーマンスを最大化するためのノウハウは、彼女が常に試行錯誤しながら自分の道を見つけてきたからこそ得られた“結果”であり、財産なのだ。
「女優、モデルとしてやっていくために、もっと視野を広げたいと考えています。まずは、語学を学びたい。私の性格上、面白いとか好きってならないと続けられないタイプなので、どうやったら楽しく語学を学べるか模索中です。とはいえ、ずっと走り続けてきたので切羽詰まってやる必要もないのかなと。自分もまわりもハッピーでいられる歩幅で、無理せずにやっていきたいです」
女優、モデル、「モーニング娘。」OG。2011年より地元・福井県の「ふくいブランド大使」に就任。卒業後は女優としてミュージカルや舞台・ドラマにて活躍し、現在は幼少期から憧れてきたファッション誌にモデルとして多数登場している。自身のこだわりを生かしたアパレルブランドとのコラボアイテムも展開。
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