夢は1つに絞らなきゃ、なんてない。
新潟で生まれ育った栗林藍希さん。地元の新潟で「美少女図鑑」に載ったことを機に芸能活動を始め、「上京してからはつらいこともたくさんあった」という数年間を経て、今では複数のCMやドラマ、話題の映画や音楽など活躍の幅をどんどん広げている。「20歳の今、やっと楽しい」と弾ける笑顔を見せてくれた栗林藍希さんに、夢を持ち続けて夢をかなえるにはどうしたらいいのかを伺った。
誰もが夢をかなえることはもちろん、夢を持つことすら難しい今。夢って何? 夢ってどうやって見つけるんだっけ?そもそも私ってどんな人でどんな人生を送りたかったんだろう?――世界中がほんのちょっとの先すら見えない時代に入ってしまった今、入学・卒業という人生の節目を迎えた若者には特に影響が大きい。2020年4月大学の入学式は9割以上が中止、約9割は授業も遠隔や延期に(※)。この状態は1年間ずっと続いたところがほとんどだ。
新しい出会いもなければ新しい経験もほとんどできない。でも、それでも。夢を追えるかけがえのない10代の期間は、「今」しかない。
今回お話を伺ったのは若手女優として活躍し、西田尚美さんが16年ぶりに主演を務める話題の映画『青葉家のテーブル』でキーとなる「優子」を演じた栗林藍希さん。さまざまな紆余曲折やつらい数年を経て「20歳になってやっと少しずつ進むべき道が目の前に開けてきたかな」と笑う。つらいことばかりだったここ数年からすると、実は変わったのは環境よりも「自分」だった。夢に近づくための折れなかった“自分のあり方”、そして“変わった自分”について伺った。
※引用元:新型コロナウイルス感染症対策に関する大学等の対応状況について
苦しかった環境を変えたのは、実は自分自身だった
栗林さんが東京に来るまでの経緯を知りたくて幼少期について尋ねたところ、返ってきたのは意外な答えだった。毎日サッカーの練習に明け暮れ、中学入学と同時にJリーグのユースに入団。夢に王手をかけたと誰もが思っていたが、夢を諦めざるを得ない出来事が起きた。
「1つ下の弟の影響で小学2年生でサッカーを始めたのですが、本気でなでしこジャパンに入りたくて1週間に6日は男子とサッカーの練習をしていた小学生だったんです。思い出もサッカーしかないですね。おかげで中学に上がるときに、アルビレックス新潟に入団することができて、『もう絶対にプロになるんだ! なでしこになるんだ!』と思っていました」。
サッカー少年ならぬ紅一点のサッカー少女。しかし、ほとんど休まずに何年もサッカーを続けた結果膝を悪くし、歩くのもままならないほどの激痛に見舞われるようになってしまう。
「膝がうまくはまらない状態。それでもしばらくは必死に頑張っていたけれど、だんだんと練習についていけなくなっちゃって。アルビレックスにも入れて夢が近づいてきたんですけどね……。母親に『もうこれ以上頑張れない』って伝えたのは中学2年生の時でした。14歳で、何年も思い描いていた夢を諦めたんです。
小さな頃から本当にサッカーしかしてなかったから、急に時間ができてもどうしていいか分からなかったですね。そんなとき、たまたま弟と中心街の万代に行ったときに『新潟美少女図鑑』の撮影の方に声をかけてもらったんです。サッカーを辞めて2カ月くらいがたった頃でした」
当時、全国で「美少女図鑑」の撮影が行われ、日本全国のご当地美少女を探すのがちょっとしたブームになっていた。栗林さんはこれをきっかけにインスタグラムを始め、たまに雑誌などに出るようになっていった。だんだんとインスタ上で注目を浴びるようになり、ある日インスタに届いた映画監督からのメッセージ。この一通のメッセージが大きく人生を変えることになる。
「『自分が作る作品に出ませんか』というお声がけを頂いたんです。そこから事務所に入ってWebのCMに出たのが中学3年生のとき。それまではモデルのような仕事しかしたことがなかったけれど、『あなたは動いた方がいいよ』というアドバイスを監督に頂いたのでチャレンジしてみたら、とっても楽しくて。中学卒業後はそのまま地元新潟の県立高校に入学したのですが、とんとん拍子にいろいろな仕事が決まって、入学から2カ月後にはもう進級が難しいことが分かりました。
進学した高校は男子ばかりで、からかわれたりしていてつらかったこともあって『よし、学校を辞めて東京に行こう!』って決めたんです。すごい勢いですよね。でもあのときは、親が応援してくれたこともあって、期待と勢いだけで何も考えずに一人で東京に来ちゃった。若くて怖いもの知らずですよね、今思うと」
美少女図鑑デビューから上京を決めるまで、約1年半。映画への出演も決まり、いろいろな仕事にも恵まれ順風満帆と言ってよいだろう。しかし上京してから苦難の道のりが待っていた。まず、自分が住む家探しで一苦労。住みやすい街の下調べもせず物件探しをしたが、土地勘もなく、賃貸物件の決め方も分からず家探しには困ったそうだ。
「いざ東京に来てみたら、もうつらいことしかなかったんです。最初に決まっていた映画が終わったらその後仕事はほとんどないし、東京の高校は通信制だったのでいつまでたっても友達や知り合いもできないし。周りにいるのは仕事関係の大人ばかりで、中学2年生の時ときにいじめにあったこともあって、どんどん人間不信になってしまって。気がついたら誰も信じられないし、周囲の人も東京という場所もみんな私の“敵”になっていたんです。毎日泣いていて、新潟に帰ることばかり考えていた時期もありました」
15歳で上京をして以来、映画『青葉家のテーブル』のように、みんなで楽しくおしゃべりをしたり悩みを打ち明けたりしながらおいしい食事を囲むということはほとんどなかったのだ。
「新潟にいたときは当たり前のように、私も映画のワンシーンみたいに家族みんなで食卓を囲んでいました。私は食べることがとっても好きで、ご飯を食べておなかがいっぱいになったら『さっきまですごくイライラしていたのは、おなかがすいていただけだったんだ』なんて思ったりして。でも東京にいた数年は、そんな楽しい思い出や、たまに新潟に帰ったときに目にするいつも通っていた通学路なんかも、思い出すとどんどん悲しくなってしまったんですよね」
©2021 Kurashicom Inc. 映画「青葉家のテーブル」より
つらくて苦しかった環境が変わった理由とは
「つらいことがたくさんあった」という数年を経て、20歳になる頃にだんだんと自分の中に変化が生じてきたという。
「東京に出てきて数年たったので、少しずつ信頼できる大人が私の周りにも増えてきたので、思い切って相談してみたり、私自身がちょっとずつ心を開くようになったんです。いざ相談してみたら、それまでは全員敵だと思っていたけれど実はそうじゃなかったんですよね。思いがけないアドバイスをもらえることもあり、一生懸命私のことを考えてくれるので、相談した私自身もとても前向きになれたんです。不思議なもので私自身がそうやって変わった途端、新しいお仕事の話に恵まれて。それまで縁がなかった音楽活動へのお誘いまできたんですよ。
前向きになれたもう一つの理由は、高校を卒業した新潟の友達、それもサッカーを一緒にやって苦楽を共にしていた仲間が上京してきたことです。何年も東京でずっと一人で頑張って闘ってきたけれど、やっと一人じゃなくなったというか。
今はやっと、すごく楽しく前向きです。でも変わったのって実は環境ではなく、私自身なんです。私の気持ちの持ち方や周囲に対するとらえ方。周りの人をちょっと信用してみよう、思い切って相談してみよう、みんながみんな敵じゃないかもしれない、と私が心を開きだしたのがきっかけ。つらかった数年を経たからこそ、『結局は自分の気持ち一つなんだな』って今は思います」
同年代の18~19歳は新しい環境に移っても何もできず、今は夢を持つことが本当に難しい時代だ。まずは夢を見つけるにはどうしたらいいのだろうか?
「今は、日本中、世界中の人たちが動きづらい状況ですが、自分の『夢』に出合ったり夢を実現したりするには、自分が動くしかないと思います。もちろん今はコロナ前の『動く』とは違っていて、人から話を聞いたり自分で調べたりすることも、十分『動く』こと。自分がそれまで知らなかったいろいろなことを見聞きして初めて、自分が興味を持てること、そしてその先の『夢』も見えてくるのではないでしょうか。そしてちょっとでも興味を持つことがあったら、飛び込んでください。私が15歳のときに、夢を見てこの業界に飛び込んだように」
「新潟時代の一番の思い出は?」と聞いたら「私はディフェンスだったのに、大きな試合でシュートを決めたこと。あのときの光景は今でも思い出す」と教えてくれた。15歳で単身上京して数年、毎日泣くほどつらかったのに頑張り続けられた根性は、プロのアスリートを真剣に目指した厳しい練習で培われたのかもしれない。周囲に目を配りながらディフェンスから一気にゴールを目指して走りだした瞬間と、20歳の今がどこか重なる気がした。
スタイリスト:高上未菜さん
ヘア&メイク:タケダナオコさん
・ワンピース¥47,300/near.nippon(ニアー)
・ネックレス¥26,400/PLUIE(プリュイ トウキョウ)
・バングル/スタイリスト私物
<読者問い合わせ先>
・ニアー tel:0422-72-2279
・プリュイ トウキョウ tel:03-6450-5777
2001年、新潟県生まれ。中学2年生の時に「新潟美少女図鑑」に載ったのをきっかけに芸能活動を始める。 2018年 映画『緑色音楽』でスクリーンデビューし、 以降、数多くのドラマやCM、映画など活躍の幅を広げる。またテレビ東京「音流~ONRYU~」でもレギュラーMCを務め、番組をきっかけに2020年アーティストとしても活動を開始。2021年6月18日公開の映画『青葉家のテーブル』に出演。
みんなが読んでいる記事
-
2024/09/30女性だと働き方が制限される、なんてない。―彩り豊かな人生を送るため、従来の働き方を再定義。COLORFULLYが実現したい社会とは―筒井まこと
自分らしい生き方や働き方の実現にコミットする注目のプラットフォーム「COLORFULLY」が与える社会的価値とは。多様なライフスタイルに合わせた新しい働き方が模索される中、COLORFULLYが実現したい“自分らしい人生の見つけ方”について、筒井まことさんにお話を伺った。
-
2024/03/29歳を取ったら諦めが肝心、なんてない。―91歳の料理研究家・小林まさるが歳を取っても挑戦し続ける理由―
「LIFULL STORIES」と「tayorini by LIFULL介護」ではメディア横断インタビューを実施。嫁舅で料理家として活躍する小林まさみさん・まさるさんにお話を伺った。2人の関わり方や、年齢との向き合い方について深堀り。本記事では、まさるさんのインタビューをお届けする。
-
2023/09/12ルッキズムとは?【前編】SNS世代が「やめたい」と悩む外見至上主義と容姿を巡る問題
視覚は知覚全体の83%といわれていることからもわかる通り、私たちの日常生活は視覚情報に大きな影響を受けており、時にルッキズムと呼ばれる、人を外見だけで判断する状況を生み出します。この記事では、ルッキズムについて解説します。
-
2022/02/03性別を決めなきゃ、なんてない。聖秋流(せしる)
人気ジェンダーレスクリエイター。TwitterやTikTokでジェンダーレスについて発信し、現在SNS総合フォロワー95万人超え。昔から女友達が多く、中学時代に自分の性別へ違和感を持ち始めた。高校時代にはコンプレックス解消のためにメイクを研究しながら、自分や自分と同じ悩みを抱える人たちのためにSNSで発信を開始した。今では誰にでも堂々と自分らしさを表現でき、生きやすくなったと話す聖秋流さん。ジェンダーレスクリエイターになるまでのストーリーと自分らしく生きる秘訣(ひけつ)を伺った。
-
2023/02/27アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)とは?【前編】日常にある事例、具体的な対処法について解説!
私たちは何かを見たり、聞いたり、感じたりした時に実際にどうかは別として、「無意識に“こうだ”と思い込むこと」があります。これを「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)」と呼びます。アンコンシャスバイアスによるネガティブな影響に対処するための第一歩は、「意識し、理解する」ことです。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。