ペットロスの苦しみと受け入れ方|11歳の愛猫を亡くした猫ライターの体験談
近年はペットの飼育数が出生数を上回り、ペットは大切な家族の一員となっている。一般社団法人ペットフード協会が行っている「全国犬猫飼育実態調査」によれば、2024年のペット飼育頭数は犬679万6,000頭、猫915万5,000頭であったそう。一方、厚生労働省が公表した2024年の日本の出生数は68万6061人だった。
こうした価値観の変化に伴い、世間ではペットと快適に暮らせる共生住宅やペット葬儀社の需要が高まってきている。
だが、その一方で、ペットの死は「ペットロス」という言葉でシンプルに表現され、周囲に苦しみが伝わりにくいのが現状だ。精神医療の現場でも、ペットロスに対するケアができる専門家は少ないと言われている。
そうした現状の中で、私たちはどう自身の心を守り、動物家族の死と向き合えばいいのか。今回は私が愛猫を亡くした時のリアルな心境を交えつつ、ペットロスの苦しみを緩和するポイントをお伝えしたい。
愛猫の死は“遠い未来の出来事”じゃなかった
猫ライターという職業柄、私は猫の死の話題に触れる機会が多く、ペットロスに関する知識も持ち合わせていたつもりだった。
だが、それが本当に“つもり”だったと思い知らされたのは、愛猫ジジとの別れが現実的なものになった時だ。ジジは猫には稀な、血管にできる悪性腫瘍『血管肉腫』になり、腫瘍を切除した。
猫の血管肉腫は不明なことがまだ多いが、予後は悪いと言われている。ただ、ジジは手術から4カ月経っても、転移が見られなかった。
そうした状況もあり、私は「うちの子だけは大丈夫」と思っていた。別れの日は、もっと遠い未来の出来事。そう感じていたが、ある日突然、胸水が溜まり始めた。
腫瘍が転移した可能性が高い。抗がん剤も効果が期待できないだろう。獣医師からそう告げられ、できる治療がないと知った時、自分の中で初めて「愛猫の死」がリアルなものになった。
闘病中の“リアルな苦しみ”と気づいた「セルフケア」の大切さ。「ペットロス」の苦しみは闘病中から始まる
できる治療は、胸水を抜くことのみ。「闘病」という形で別れの覚悟を固める時間を与えてもらえたことはありがたかったが、獣医師からバラバラな方向の選択肢を提案され、悩んだ。
①リスクを覚悟して詳細な検査を行う
②胸水を抜きつつ、緩和ケアをして最期は安楽死を選ぶ
③胸水を抜きつつ、緩和ケアをして自宅で看取る
治療法がない場合は、100%正しい選択などない。どんな選択をしても、後悔はする。そう分かってはいたが、私はジジが希望する“最善の選択”をしたかった。その想いの中には、愛猫亡き後の後悔を少しでも減らしたいという自分本位な気持ちもあったと思う。
どんな選択をすれば、ジジは“最善”と思ってくれるだろう…。考えれば考えるほど、答えは分からなくなり、同じ言葉が話せないことをもどかしく思った。
そんな状況下で、ふと気づく。ペットロスの辛さは、愛猫が亡くなった後から感じるものじゃないんだ、と。飼い主は闘病中から、じわじわと苦しみに蝕まれていくのだ。
闘病中には飼い主側の「心のセルフケア」も重要
自分が下した選択で、ジジの最期が決まるのが怖い。飼い主だからという理由だけで、ジジの気持ちを予想して最期を決めるのは傲慢ではないか。
そんな考えもよぎる中で心の支えになってくれたのは、夫だった。ひとりで抱えている気持ちを吐き出せ、夫視点での意見を貰うと、心と頭が少しクリアになった。また、自分とは違う夫の考えを聞くと、100%正解な答えなどないと改めて実感でき、「選択を迷って当たり前」と自分を赦せた。
こんな風に心の内を話せる存在がいたから、私は愛猫亡き後、「できる限りのことはできた。自分が下した選択はきっと、ジジにとっても最善だったはず」と思うことができた。
愛猫の闘病中、飼い主は自身の心のケアにまで手が回らないことが多い。限りある時間を、全て愛猫に捧げたいと思うからだ。
だが、自身の経験から、私はペットロスの傷の深さには闘病期の過ごし方も大きく関係するのではないかと感じた。身近な人に話すことが難しい場合はSNSの猫友に相談してもいいし、この時期から心療内科に頼るのも良いと思う。自分だけで苦しみを抱えないよう、闘病期からセルフケアを意識してほしい。
死期を悟った時には多角的な視点で「後悔の少ない看取り方」を考える
愛猫の死期を悟ると、「まだ一緒にいたい」という想いで心がいっぱいになって当然。だが、その想いも大切にしつつ、「後悔が少ない看取りの形」を考えることもペットロス後の苦しみを和らげることに繋がると私は思う。
夫と話す中で私は、できる限り胸水を抜きつつ、最期は自宅で看取ろうと決断した。だが、死期が近いことを悟った時、「最期は安らかに逝かせてあげたほうがいいのでは…」と、安楽死という選択に心が揺れた時があった。
そんな時、響いたのが、愛猫を亡くした経験がある友人の言葉だ。友人は苦しむ愛猫を見るのが辛く、最期の時、目をそらしたそう。しかし、そのことをずっと後悔しており、「同じ後悔をしてほしくないから、できるなら目をそらさずに最期まで見届けてあげて」と、私に言った。
その言葉を聞き、ハッとした。私は「辛そうで見ていられない」という理由から、安楽死を選ぼうとしていなかっただろうか、と。
そんな自分本位な気持ちがあったことに気づいた時、心が定まった。自分が苦しいかどうかなんて、もうどうでもいい。それよりも本当にジジの目線に立ち、一番幸せな旅立ち方を考えようと思った。
私や夫と過ごす時間が大好きなジジは、たとえ安らかに逝けるとしても、病院より自宅で最期まで家族と過ごすことを望むのではないだろうか。そう感じたため、私は自宅での看取りを選んだ。正直、この選択を下せてよかったと思っている。
自分の心が納得できる答えに辿り着けると、看取りの覚悟が固まる。看取り方に迷った時は、こんな風に多角的な視点から「後悔の少ない看取り方」を考えるのもひとつの手だ。
最期まで「愛猫の尊厳」を守れるペット葬儀社を探す
ペットロスの痛みを和らげるには、ペット葬儀社を慎重に選ぶことも大切だと思う。悪徳なペット葬儀社を選ぶと、愛猫が雑に扱われたり、お骨が残らなかったりすると、ペットロス後に自分を責める理由が増えてしまうからだ。
私は闘病中から、ペット葬儀社探しを開始した。生きているジジの横で死後のことを考えるのは辛かったが、最期まで愛猫の尊厳を守るために大切なことだと思った。
愛猫が亡くなった直後、冷静にペット葬儀社を比較して選ぶことは難しい。私自身、ジジを亡くした直後は取り乱し、冷静な判断が下せなかった。信頼できそうなペット葬儀社を、事前に見つけておいてよかった。そう、心から思った。
私が依頼したペット葬儀社は終始、心がこもった対応をしてくれた。ジジを撫でて「かわいい」や「頑張ったね」と話しかけてくれ、火葬時には別れの時間をたっぷりとってくれた。
そうした気遣いがあったため、私は「最期までジジの尊厳を守れた」と思うことができた。
火葬を依頼したいペット葬儀社は複数見つけておく
私の場合は住み慣れた自宅でお別れしたいと思い、移動火葬車を依頼した。偶然、休日に空きがあったので、家族で見送ることができたが、希望する火葬や葬儀が明確な場合は、それを叶えられるペット葬儀社を複数見つけておくことが大切だと学んだ。
また、あらかじめ家族に火葬や葬儀に立ち会いたいかを確認することも大切だ。そうした対策は、「妥協した葬儀になってしまった」という後悔や「看取れなかった」という悔しさから、ペットロスの傷がより深くなるのを防ぐことにも繋がると思う。
「後を追いたい」にストップをかけるには?“目先の目標”で生きながらえた日々
ペットロスの辛さは、日が経つにつれて愛猫がいないことを痛感させられるところにある。家の中は、愛猫との思い出だらけ。部屋にいたくないのに、外出する気分にもなれない。私はゲームで現実逃避をし、骨壺を抱えて移動するようになった。
暑い部屋や暗い部屋に骨壺を置いておくこともできず。ジジがひとりぼっちにならないよう、常に骨壺を隣に置いて過ごした。
自分だけ楽しんではダメ。やがて、そう思うようにもなり、後を追いたい衝動に駆られた。だが、心優しいジジはそんな決断を望まないだろうと思い、なんとか自制。意識が死に向かないよう、目先の目標を無理やり作り、生き延びることにした。
私が決めた目先の目標は、ジジの遺骨を入れた指輪を作ること。気が変わらないうちに来店予約をし、担当者と入念な打ち合わせをして、ジジの個性を反映した「遺骨リング」を作った。
つけるのは、薬指。自分にとって永遠の愛を誓いたい相手は、ジジや世の猫たちだと思ったからだ。誓いの指切りを交わしたくて、指輪にはジジの指の骨を入れてもらった。
指輪を身に着け始めると、心がザワつくことが少し減った。指は目に入りやすいため、「ジジがそばにいてくれる」と思えやすくなったのだ。
また、これからは指輪になったジジと色んな場所に出かけ、思い出作りをしようという考え方が自分の中に生まれたことも悲しみを和らげることに繋がった。ジジを亡くした後、私が一番悲しかったのは、新しい思い出が増えないという事実だったからだ。
推し活ブームの今は「うちの子グッズ」を手軽に作ることができる。愛猫のアクスタと一緒にカフェめぐり…なんていう思い出作りも素敵だ。お骨になったから一緒に行ける場所があると、愛猫の死をあえて前向きに捉えることも、心の救済に繋がる。
誰かのペットロス体験談に触れることも「苦しみを緩和する手段」に
ジジを亡くしてから、私はペットロスの取材記事を多く執筆するようになった。体験談を通して、ペットロスの深刻さをより多くの人に伝え、「たかがペットが死んだぐらいで…」という心ない言葉が向けられない社会になってほしいと思ったからだ。
だが、取材を重ねる中で気づいた。ペットロスの体験談には当事者を癒す力もある。自分にはなかった「心が納得する受け止め方」を知るきっかけを授けてくれることもあるからだ。
例えば、私は「自然寛解を目指す」という捉え方が腑に落ちた。ペットロスは言い換えれば、死別だ。死別の痛みは、完治させるのが難しい。だが、「寛解」を目標にしてみると、当事者は立ち直れない自分を責めずに済み、痛みと共に生きられる方法を探そうと、少し前を向けるのではないだろうか。
ペットロスは、ひとつの命を必死に愛し抜いた証だ。だからこそ、その傷の深さが正しく理解され、当事者に適切な支援が差し伸べられる社会になることを願う。
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文=古川諭香
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