建築士がデザインするのは建物だけ、なんてない。
社会の移り変わりに伴い、“住む”という拠点の持ち方や使い方は劇的に変わりつつある。「将来的には建物だけでなく、その目的や使い方まで全部含めて、建築家が提案できるようになるべきだと思う」と語るのは建築デザイン事務所noizを共同主宰する建築家・豊田啓介さん。多様性に伴う建築家の役割と既存の常識にとらわれない発想を生み出す秘訣に迫った。
かつては一戸建てという資産を持つことが重要なステータスと考えられていたが、社会やライフスタイルの変化とともに“住む”という概念は多様な広がりを見せている。ひとつの建物を複数要素で使うシェアリングエコノミーや、ひとりが複数拠点で生活することもその一例。「家を買う=失敗できない」という時代から、チャレンジングな試みが実践できるようになった今、建築家がユーザーにもたらす価値や役割にも既存のワクにとらわれない柔軟な発想が求められている。
高い場所から遠くを見渡すことが好きだった
生まれ育ったのは千葉の埋め立て地にあるマンションの6階。そこから見渡す景色が豊田さんの原風景だった。
「周りに建ち並ぶ集合住宅が5階建ての物件ばかりだったので、それらの屋根が遠くまで並ぶ様を見渡せる部屋でした。窓からは光が十分に入って、窓を開ければ風が家の中を軽やかに抜けていく――。これらの心地よさがあることが自分にとっての住まいの大前提。今も住宅を手掛けるときは、どう工夫してそれらを提供するか考えます」
小学校高学年の頃には「気付いたら建築家になりたいと思っていた」という彼が建物に興味を持つきっかけのひとつとなったのが、1970年代後半から始まった幕張新都心の開発だ。
「市報に描かれていた街の完成イメージを見たり、真っ平らな埋め立て地にビルがニョキニョキと建ち始めていくのを見て、『1コくらい俺に建てさせてくれればいいのに』と思っていました(笑)。小さい頃から木や空き箱などの立体を組み合わせて物を作ったり、“どう組めばどういうものができる”といった構造を考えることが好きだったので、その影響も大きいはずです」
建築家への憧れがブレることがないまま、東京大学工学部建築学科に進学。卒業後は大阪にある安藤忠雄氏の事務所で働くことを決めた。
「本当は海外留学に必要な奨学金をもらうため、大学院への進学を考えていました。そんなとき、安藤氏の事務所から『うちの事務所に来るか?』と声をかけていただいて。『理由はないけど、現状とは違う環境で建築という物事を見直してみたい』というのが留学の目的だったので、それなら海外へ行くのも大阪で働くのも同じだろうと思ったんです」
安藤忠雄建築研究所では「建築家としてものすごく大事な経験をさせてもらった」と豊田さんは語る。だが経験を重ねるほどに、再び海外への思いが膨らんでいったという。
「吸収できることや価値が大きい半面、考え方も型にハマるようになりつつあって。このままじゃ安藤風の価値観でしか仕事ができなくなりそうだと思ったんですよね。新しいことも勉強したいけど、事務所の業務と並行してやるのは難しい状況でしたし。とにかく自分を物理的にも感覚的にも見直すため、現状から距離を取りたい。そのためにも一度、日本の外に出なければダメだと強く考えるようになりました」
失敗も価値になると気付いたことで考え方が自由になった
自分を見直すためにと選んだ行き先は、アメリカ・ニューヨークのコロンビア大学だった。
「当時は世界でも最先端のコンピューテーショナル・デザインが学べる場だったので、『せっかく行くなら』くらいの感覚。ひとまず遠くに行ければどこでもいいという感じでした」
コンピューテーショナル・デザインとは、デザインに合わせた建築物の構造や環境性能などをさまざまな角度からシミュレーションしたり、条件に合った形を生成させたりすることができるデジタル技術。形になる前のアイデアを実験的に試すこともできるので物の使い方や見え方、価値観の変化といった、新しい価値の発掘にもつなげやすいという。
最新のテクノロジーを学べたことも大きな収穫だったが、それ以上に豊田さんのスケールを広げたのは、既存の常識にとらわれない物事との向き合い方だった。
「日本なら『常識的に実現できるわけがない』とバカにされるようなことや現実性のない意見でも、アメリカでは先生と生徒が一緒になって真面目に議論してるんです。『こういうものがあったら?』という仮説を積み重ねて新しい価値世界が生まれる可能性を構築したり、『考えた結果に価値があるならば、実現する方法は後から考えればいい』という前向きなスタンスなんですよね」
当時の経験を通じて身についた「一見価値がなさそうなアイデアを真面目に蓄積していると、いつの間にか何かに化ける」という考え方はnoizでも活用され、新しい価値の創造に役立っている。
「遊びにしか思えないような発想でも事務所のみんなで何度も繰り返して検証することでいつの間にか僕らの方の考え方が変わっていって、新しい価値や力の源になったりする。これは留学していなければできなかった発想だと思います」
「日本の社会は失敗恐怖症」だと実感したことや、小さな失敗の積み重ねが成功につながる糧になると思えたのも留学生活から得た発見だ。
「数々の失敗から得た経験があるからこそ、未知の領域でも『この方法はダメっぽい』ということが感覚でわかる。それはすごく大事な価値なんです。アメリカでは『99%失敗するとしても1%の価値を探り当てるなら自由に泳がせよう』ということが社会の通念として許容されている部分があるんですよね。日本なら一歩目が間違っていたら『常識的にありえない』とみんなで否定してしまう。最初の数歩は突拍子もないかもしれないけど、最後の解は未知の価値を生み出すかもしれないのに……。違う環境の価値観を通じてこれまでの環境を見直したことで、固い常識にとらわれ広げられるはずの可能性をつぶしていたことに気付きました」
伝統的な畳職人の熟練された手仕事と、noizの得意とする「コンピューテーショナル・デザイン」の技術によって生まれたボロノイ畳《TESSE》。空間の形状・寸法に合わせて畳の分割パターンを生成できるため、自由なデザインを楽しめる。
photo :高木康広
住み方や暮らし方といった目に見えない価値も届けていきたい
コンピューテーショナル・デザインなどの新しいデジタル技術を使った実験的な試みにも取り組む豊田さんの元には企業からの「何か新しいことをしたい」「新しい価値をうちの企業に持ち込みたい」という相談の声が後を絶たない。だが、新しいことを試みたいはずなのに、「こうやりましょう」と案を出しても「前例がない」「結果の保証がないからできない」と返されることが多く、理解を得るまでの苦労が絶えないという。
目に見えない価値をどう伝えるかで悩んだり常に葛藤を抱えるものの、「そこが面白い部分なんです」と豊田さんは笑顔を見せる。その無限大の視野は、建築家としての仕事のあり方にも新しい付加価値を見いだしている。
「今は建物を造るだけではなく、資産としての機能の持ち方や住み方などを問い直し、提案することも建築家の仕事だと考えています。シェアや賃貸、複数拠点で暮らすなどいろんな生き方が選べるようになってきたからこそ、それに対応できる新しい住宅のあり方を探究することも必用。一戸建てや1LDKなどのステレオタイプに縛られず、その人自身の生き方や価値観に合わせた住まいを持った方が予算的にもライフスタイル的にもずっと暮らしやすくなると思うんです」
社会の移り変わりや顧客から求められる条件などを柔軟に受け入れ、新たな価値として打ち出していく応用力はさまざまな経験の積み重ねがあっての妙だろう。しかし、価値や結果が見えない物事に延々と向き合っていくのは大変ではないのだろうか?
1972年、千葉県出身。96年、東京大学工学部建築学科卒業。96-2000年、安藤忠雄建築研究所を経て、02年コロンビア大学建築学部修士課程(AAD)修了。02-06年、SHoP Architects(ニューヨーク)を経て、07年より東京と台北をベースに建築デザイン事務所noizを蔡佳萱と共同主催(16年より酒井康介もパートナー)。コンピューテーショナル・デザインを積極的に取り入れた設計・製作・研究・コンサルティング等の活動を、建築からプロダクト、都市、ファッションなど、多分野横断型で展開している。
現在、東京藝術大学芸術情報センター(AMC)非常勤講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)非常勤講師。
noiz architects http://noizarchitects.com/
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