“なんでも屋”になると損をする、なんてない。
ドイツテレビ局のプロデューサーからドイツ語の通訳・翻訳、カルチャー分野のライター、はたまたコメンテーターとしてのテレビ出演まで、多岐にわたる仕事をこなすマライ・メントラインさんは、自身の肩書について「職業はドイツ人」を自称している。
ビジネスシーンでは職種や業務内容を端的に表す分かりやすい“肩書”が求められがちだ。専門性を高めることがキャリア形成に有利になる一面もあることから、さまざまな業務やタスクをこなす、いわゆる“なんでも屋”にネガティブな印象を抱く人も多い。
しかしマライさんは自身の経験から「フレキシブルな肩書のニーズは意外とある」と話す。肩書や職種に“こだわらない”ようにしているというマライさんに、そのメリットや時にネガティブになってしまう“仕事との向き合い方”について伺った。
「専門性を高めよう」「スペシャリストであれ」。働く人のキャリア形成について、しばしば耳にするのがこんな言葉だ。“営業”や“広報”“マーケティング”など、1つの専門領域に特化し、仕事を通じてそのスキルに磨きをかけていく人は、たしかにとても魅力的に見える。
しかし中には、関心のある領域やスキルが多数あり「自分の肩書(職種)はこれ」とはっきり言い切ることにためらいを覚える人や、専門性が高められないことでキャリアの方向性に悩む人はいるだろう。「器用貧乏」「なんでも屋」という言葉があるように、“なんでも手広くできること”は、時にマイナスの要素として語られてしまうこともある。
最初は“翻訳・通訳”としてキャリアをスタートしたマライさんは、名刺の裏に書いたとある一言から仕事の幅が広がった。わかりやすい肩書がないことで得意領域ではない仕事が舞い込むことも多いが、それらを“スキルアップのための試練”と捉えているという。
分かりやすい肩書がないからこそ、スキルアップのための試練が定期的にやってくる。
それが専門性につながる
これまでのキャリアについて尋ねると、マライさんは「簡単にまとめたほうがいいですよね……。難しい!」と笑顔を見せた。
ドイツ北部の港町・キールに生まれたマライさんは、幼い頃から日本文化に憧れていたという。高校・大学で日本に2度留学し、ドイツの大学では日本学を学んだ。
日本での生活をスタートさせたのは2008年。留学中に知り合った日本人のパートナーとの遠距離恋愛の末、大学卒業と同時に日本へ移住し結婚した。
移住後はしばらく仕事のあてがない状態が続いたが、NHK教育テレビ(現在のEテレ)の語学講座番組『テレビでドイツ語』のオーディションに応募したところ、合格。ドイツ語やドイツ文化を伝えるキャスター役として、番組に出演することとなった。
「番組としては、ドイツ語ネイティブであることが重要で、日本語がペラペラな人を探していたわけではなかったようなんです。でも、私が日本語もドイツ語もしゃべれたことが衝撃だったようで、NHK局内でドイツ語のリスニングや翻訳に困った際に、私のところに問い合わせがやってくるようになったんです」
番組出演をきっかけに知り合った人々を起点として、次第にマライさんのもとには、ドイツ語翻訳・通訳の依頼が舞い込むようになる。
「仕事が増えたこともあり、名刺を作ったんです。日本は名刺文化圏なので。表面に載せる“肩書”はとりあえず『通訳・翻訳』にしたんですけど、裏面にも何かあった方がいいかな……と思い、5秒くらいで描いた似顔絵の隣に『ドイツのことなら任せてください!』と書いた吹き出しを添えたんですね。
その名刺をいろんなところで配っていたら、どうも印象に残りやすかったみたいで。通訳・翻訳の仕事ももちろん来るんですが、だんだん、そうじゃない仕事の依頼が増えていきました」
名刺の裏面に掲載したイラストとメッセージ。この似顔絵はTwitterアイコンにも使用している
「ドイツ語でスピーチがしたい」という日本企業の会長へのスピーチ指導や、ドイツから来日した子どもたちに同行して全国を回りながらさまざまな日本文化を体験するリポーター、人気アニメ主題歌のドイツ語翻訳、声優や役者へのドイツ語発音指導、ドイツで開催される展示会で日本製品をアピールするためのプレゼンター……。舞い込む仕事の領域はどんどん多様になっていった。
「そうやって2、3年ほどいろいろな仕事をしてみて、自分の肩書って『翻訳・通訳』だけじゃないなと気付いたんです。共通項があるとしたら“ドイツ人だから”依頼されたということくらい。『結局、私の職業ってドイツ人なんやな』と」
フレキシブルな肩書のニーズって、意外とある
それ以来、マライさんは特定の肩書は持たず「職業はドイツ人」を自称するようになった。依頼される仕事の幅はさらに広がり多種多様になったが、どんな「仕事」の依頼であっても、断らないのがポリシーだ。
「できるだけフェア、中立でいたい」という自分の“軸”がぶれるような仕事、例えばドイツと日本、どちらかの国を過度に持ち上げたりけなしたりすることを要求されるような仕事以外であれば、基本的に引き受けるようにしているという。
「もともとがネガティブな性格なので、『私にはできないと思うんだけどなあ』と思う仕事もあります。だからといって自信がなさそうにするのは『マライに頼めるんじゃない?』と声をかけてくれた方に失礼だから、否定しないように、できるだけ堂々とやりきることを心がけています」
未知の領域の依頼に対する不安感は、リサーチや打ち合わせ、練習といった下準備を入念に重ね、その時点での自分が出せる全力を注ぎ込むことで打ち消している。過去には「世界各国の怪談を披露する」というテレビ番組の企画にドイツ代表として出演し、優勝したことも。
「新しい仕事をするたびに、取引先に『肩書、どうしましょう?』と相談されるんです。特にテレビや新聞など、名前を出す仕事ではよく聞かれますね。そういう時は『なんでもいいですよ、好きに選んでください』と答えてます。翻訳・通訳でもライターでもいいし、ドイツのテレビ局のプロデューサーもしているので、より分かりやすく具体的に書きたければそれでもいい」
キャリア形成を考えた時に、“専門性”の高さが評価されることも理解している。それでも、自分の専門領域を1つに絞ろうと考えたことは、これまでない。「なんでもやる」というスタンスのおかげで、仕事の幅が広がった“経験”があるからだ。
「専門性を高めることはもちろん大事です。だけど、フレキシブルな肩書のニーズが意外とあることを、私は日本に来てからの15年で実感しました。
『職業はドイツ人』という肩書は、仕事の間口を広めるための“仕掛け”や“ネタ”でもある。実際、Google翻訳など翻訳サービスが進歩している影響もあり、一口に『翻訳』といっても機械的なものではなく、文化的文脈の日本語化やアイデアの翻案といった仕事が増えています。
自分にとってこの肩書は、仕事のフレキシビリティの象徴みたいなものなんです」
自分より適任者がいるかもしれないけれど、その時その場にいたのは自分だった
しかし、肩書が1つではないからこその悩みもある。同じ立場・職種として働く人が自分以外にいないため、現状のスキルや成長が見えにくい点もその1つだ。それに加え「自分よりも適任者がいるのでは」と悩むこともあるという。
「日本はコネ社会だとよくいわれますが、例えば同じスキルを持っていそうな人が2人いたら、間接的にでも知っている方や、付き合いがある方を選んじゃうんですよね。
だから仕事が来ると『本当はもっと適任の人がいて、その人のチャンスを私が奪っているのかもしれない』と思ってしまうこともあるんです。絶対にもっと“うまい”人がいるはずなのになって」
そんな悩みに襲われた時、マライさんは「でも、その場にいたのは自分だった」と考えるようにしているそうだ。
「私よりいい文章を書く人も、私よりいい編集ができる人も絶対にいる。でも、その人たちはその場にはいなかった。どんな理由であれ依頼を受けたのが自分だったなら、その分精いっぱいやるしかないんです」
しかし入念な事前準備をしたにもかかわらず、100%のパフォーマンスを発揮できなかったと感じる仕事も時にはある。大切にしているのは、自分自身を客観視することだ。
「もちろん、悪かった点は理由を分析して、改善できるよう努力します。でも、そもそも私が何をどれだけ準備していて、その事前準備に値する成果が出せたかどうかなんて、私以外は分からないわけです。だから、必要以上に落ち込みすぎてしまいそうになった時は『でも、客観的に見てどうよ?』と視点を変えるようにしています。
一緒に仕事した人は喜んでくれていたはずとか、視聴者からも悪い反響は来ていないとか、そういうことを材料にいったんは納得して、割り切ります。どうしても落ち込んじゃう時は……最終的に『私に声がかかったそれ自体に何か意味があったんでしょ』って考えるようにして、夜はできるだけ寝るようにしてますね(笑)」
「ドイツにまつわる仕事しかしない」という制約は設けたくない
「職業はドイツ人」という現状の肩書を、マライさんはとても気に入っているそうだ。しかし将来的には、もっと自由な肩書にしてもいいかもしれない、とも考えている。
「いずれは『人間です』とか『マライです』みたいな肩書にできたらいいな、と(笑)。朝のワイドショーでコメンテーターをしていたことがあるんですが、その番組はドイツに関する知識や情勢を紹介する役割ではなく、あらゆるニュースに対するコメントを発することが求められたんですね。
そういうところに『ドイツ人だから』という理由ではなく『ドイツ人であるマライ』を呼んでくれたのが、すごくうれしかったんです」
ドイツ人であることは今後も変わらないし、仕事を通じてドイツと日本の文化や風土を相互に伝え続けていきたいと考えている。しかし「ドイツ」というのはある意味、1つのきっかけや触媒であり、実際には文化翻訳全般が生きがいのようなものだとも話す。
「いくら『職業はドイツ人』と言っても、私に全ドイツ人の代表はできないわけです。もちろん『ドイツではこういう意見が挙がっています』というのはなるべくフェアに紹介しようとは思っているけど、紹介するのは結局、私という一人の人間だから。
職業から離れた自分らしさももちろん持っていますから、今後はそういうところもアウトプットできたらいいなと思っています。時代ごとのニーズに合わせて、もっともっと進化していきたいですね」
取材・執筆:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集協力:はてな編集部
1983年ドイツ北部の港町・キール生まれ。幼い頃より日本に興味を持ち、姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ドイツ・ボン大学では日本学を学び、卒業後の2008年から日本で生活を始める。NHK 教育テレビの語学講座番組『テレビでドイツ語』に出演したことをきっかけに、翻訳や通訳などの仕事を始める。2015年末からドイツ公共放送の東京支局プロデューサーを務めるほか、テレビ番組へのコメンテーター出演、著述、番組制作と幅広く仕事を展開しており「職業はドイツ人」を自称する。近著に池上彰さん、増田ユリヤさんとの共著『本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」』(PHP研究所)がある。
Twitter @marei_de_pon
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