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STORIES 2018/12/17

モデルは、デザイナーになれない

圧倒的な美貌と歯に衣着せぬ発言で、2000年代を代表するタレント・モデルになったマリエさん。テレビに雑誌、いくつものレギュラーを抱える人気絶頂期に、彼女は留学のため渡米する。パーソンズ美術大学で学ぶという、幼い頃からの夢をかなえるためだった。芸能界で一時代を築きながら、自分らしい生き方を選択した彼女。その心境と現在の活動について伺った。

バラエティ番組でお茶の間を、ファッション雑誌では若い女性を魅了し、幅広い層に支持されていたマリエさん。現在はメディアへの露出よりも、デザイナーとしての活動に軸足を置いている。転機となったのが2011年のアメリカ留学。突然の行動にファンは驚いたが、本人にとっては長年の夢であり、ネクストステップに欠かせない行動であった。
マーク・ジェイコブス、アナ・スイ、アレキサンダー・ワン、ナルシソ・ロドリゲスなど、偉大な先輩たちに続き、ファッションの名門であるパーソンズ美術大学に入学。ハードなスケジュールをこなし、無事修了して帰ってきた彼女は、本物のデザイナーになっていた。

幼い頃からの夢をかなえるため
芸能界からしばらく離れた

3人姉妹の末っ子で、両親が共働きのため祖母といつも一緒にいたマリエさん。絵を描いたり、工作したり、物を作るのが大好きな子供だった。

「姉がモデルをやっていて、ずっと憧れていたんです。そして、私も10歳のときにスカウトされて、子役モデルの活動を始めて。学校の合間なので、そんなに大々的ではないですけどね」

高校3年になり、進路に悩むタイミングを迎えた。

「なんとなく大学には行きたいな、と思っていた矢先、所属していた事務所から正式契約のオファーが。チャンスだと思いました」

勉強はいつでもできる!そう考えて芸能活動を本格的にスタート。セレブアイドルという新ジャンルを確立し、年間9本のレギュラー番組を抱えるスターに。

「今から13年ほど前、まだテレビが強い時代でしたね。単純にタイミングが良かったのでしょう」

さらに、ズバ抜けたルックスはファッション界からも注目され、有名女性ファッション誌への露出を皮切りに、さまざまなショーに出演。カリスマとなるのに時間はかからなかった。

「自分で選んだ道ですから、絶対に5年間は突っ走ろうって決めていました」

若いで許される時期が終わることに気付いた

そして2011年、突然の海外留学。これまで以上にエンタメ界で輝くであろうと、周囲もファンも期待していた頃である。

「芸能生活をしながらも、ずっと心のどこかにモヤモヤがあって。子供の頃からの夢が引っかかっていたんです」

ファッション3大学校の一角、アメリカはパーソンズ美術大学で学ぶこと。それは12歳からの憧れだった。

「18歳で進学せず、勢いに任せて駆け抜けてきましたが、気付けば23歳。若さだけで許される時間は残り少ない。やりたいことをやるためには、早く動かないといけない!そう感じてしまったんです」

周囲の理解もあり、単身ニューヨークへ。通常だと2年かかるカリキュラムを、圧縮して1年で修了させた。

 

「マーク・ジェイコブスやトム・フォード、ダナ・キャランなど、そうそうたるメンバーが学んだ場所で、ファッションデザインを専攻。パターンメイキングにデッサン、マーチャンダイズ、ライティングに至るまで、ファッションにまつわることを徹底的に勉強しました。昼夜兼行で大変でしたが、全く触れてこなかった経済学的な部分も多くて、面白かったですね」

帰国後は活動の軸をシフトさせ、メディア出演だけでなく、企業のユニフォームデザインやスクール講師、講演なども行うようになった。

「渡米していろいろと経験すると、やっぱり自分はファッションが好きなんだと再認識できました。加えて、学んできたことを、応援し続けてくれたファンの方々へ恩返ししたいという思いも生まれて」

自分のメッセージを服に込めて発信する

自分のやりたいことを明確に自覚したマリエさん。2017年に自身のブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカル マリエ デマレ:以下PMD)」を設立する。

「自分のアンダーザネームで活動するなんてめっそうもない!って思うこともありますが、私だから伝えられるメッセージがあると考えたので。それは、好きじゃないとつらいことに立ち向かえない。なんでも無理して耐えればいいってわけじゃなく、キツくても真正面から挑める=好き、が大切という思いです」

エシカル(倫理的)で社会貢献が当然なのは前提で、自分の好きな物や事さえ見つければ、それで良いんだよ……、という温かいメッセージ。

彼女のブランドのキーワードは”再選択”。タグやプライスカードなど、服として余剰なファクターを排除する姿勢は、既存のものに対し、要不要の選択からスタートしてほしいという思いを示す。

「買うという行為自体についても改めて考えてほしいと思います。だから、私が好きな街で扱ってもらい、そこの景色ごと提案できればって」

「PMD」を扱っているメンズ向けのショップでは、他の芸能人ブランドでは起き得なかった現象が見られるとか。

「女性やカップルを呼び込む狙いで置いたら、自然に男の子が手に取って、自分のために買っていくと聞きました。私が意識しないうちにユニセックスで楽しめるブランドになりつつあるようです」

自分が作った服を毎日着られて楽しいという彼女。同時に、デザイナーでいられるのはファンのおかげと、強い感謝の念を抱いているそう。

「学校や講演など、若い子たちと直接触れ合う機会が増えました。恩返しではないですが、私が学んできたこと全てを、教えられる限り伝えたいです。今の大人は昔話ばかり。でも、オルタナティブな若者たちは過去を学び、未来も見ていて、みんなで頑張ろうとしています。おじさんおばさんが否定的なツール、スマホだったりSNSだったりでシェアし合い、協力してアップデートしていく。彼らを見ていると、世間でいわれているほど未来は暗くないなって思います。私の経験も役に立てばうれしいですね」

信用できる仲間をつくり大切にしてほしい

ストリートカルチャーにとって憧憬(しょうけい)の対象に過ぎなかったタレント・モデルから、カルチャーを若い力と一緒につくるデザイナーに。マリエさんは芸能活動休止、留学を経て、もっと身近で美しい大人になった。

「物作りの仕事は初対面同士より、やっぱり気心の知れたチームと組んだ方が任せやすいし、クリエイトの効率も良い。これからは認証マークだけではなく、人と人とのつながりを信用して選ぶ時代。気の合う、信じられる仲間をどんどんつくってほしいです。だって、自分がみかんを作っているとして、隣にいる人に、農薬だらけのみかんを渡せないでしょう?」

自分の好きなことを惜しげもなく教えてくれる環境が、いかにすてきなのか大学で知りました。一方で、好きなものを作るな!とも教わって。自由だと思っていたのに、このN.Y.でもビジネスマン的視点なのかと当初は少し考えることもありました。でも、臨機応変なデザイナーになるには、好きなものばかりじゃ駄目なんですよね。もちろん、自分を貫くのも正しいとは思います。問題はスタイルを自分で選べるかどうか。いろんな選択肢のある社会であってほしいですね
Profile マリエ

1987年6月20日生まれ。東京都出身。フランス系カナダ人の父と日本人の母とのハーフ。 モデルとしての活動を10歳頃からスタートし、その後「ViVi」の専属モデルやTVでのタレント活動など、多方面で活躍。2011年9月に単身渡米し、 ファッション分野で著名な世界3大スクールのうち、N.Y.にある名門「パーソンズ美術大学」へ留学。ファションを専攻。数々のデザイナー達へのインタビューから影響を受け、アート・ファッション・カルチャーに深い関心を寄せるようなる。趣味は映画、音楽、ギャラリー巡り。J-WAVE「SEASONS」ナビゲーター(毎週土曜日12:00~15:00生放送)レギュラー出演中。現在は、自身で立ち上げたアパレルブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS」のデザイナーも務める。

オフィシャルブログ:https://yaplog.jp/marie-photo/

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しなきゃ、なんてない。既成概念にとらわれず、自分らしく生きる人々のストーリー。

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